2010年12月30日木曜日

年の瀬

2010年よさようなら!

年が変わるからってそれが何?
と、冷めた目線の人もいるようではありますが
まあまあ、
カレンダーめくるくらいで
気分が変わる(気がする)ならば
もうけものじゃない?


あ、私は都内に近距離帰省はするものの 今ひとつ年末年始感を満喫できそうにもないので
自分内でひそかに
旧正月を採用することにします。
1月末に大そうじするでしょう。


KOZUE

2010年12月26日日曜日

discipline


10年も刀鍛冶をしていると、大概のことでは動じなくなった。 

目に火の粉が飛び込んだとか、小指の先を切り落としたとか、 
大事はそんなことではない。 

では、名刀をつくるためなら何でもするのかと問われれば、 
おれはそんな問いには答えないだろう。 

きっと、その質問が地上の人間のものなら、おれは2.8次元か、そこら辺にいるからだ。 












おれは鉄を叩いて刀を取り出すが、人は心を叩いて魂を取り出す。 
凸凹を鍛えて、流線型になった魂は、どこへでも飛んでいくだろう。 

答えはいつだって地金の中にある。おれは持っていない。 

だから来る日も来る日も、日長一日、見つめ続けるのだ。 


ずっしりと重い歪んだ鏡面に、福笑いのような自分の顔をじっと眺めていると、 
突然その中へ、ゆるりと没入できることがある。 


この硬い物質の中は呼吸などせずともよく、柔らかいが頭痛もする。 
息苦しいと思えば息苦しいが、忘れてしまえば存外楽だ。だからおれは忘れることとした。 

玉虫色に揺らぐ天井を見つめて、 
刀に力を加える研究ばかりしている変わり者の大学教授の物理実験を思い出した。 
あいつは今も大学だろうか。 

キーンと高い耳鳴りの中を、どこまでも泳げ泳げ 


やがておれは、鼻の奥がジーンとして、頭がかちわれる瞬間に思い至る。 

ふと気づいて、ああ今おれは確かに取り出すべき形に触れていたのだなあと思うのだ。 








長男が生まれたとき、おれは病室で、それこそ今世界が生まれたのではないかというような、 
けたたましい叫び、命のビッグバンの音を聞いていたんだ。 

そう、人は誰だってエネルギー体なのさ。 

赤く熱く、ドロドロしたそいつを、おれは鍛えている 



自分だけの魂の形を知るために、人は心を叩くのさ 





2010年12月25日土曜日

音は人格

エフェクタ欲しい病が再発しそうです。

作ればいいのか。

うーん。

昔作ったあれやこれやを、ちっと引っ張り出してみますか。

同じ機材で同じ時に違う人が弾けば、出てくる音は違う。
個人的には、音は人格に左右される。もっと表層の、気分というようなものにも。

気にしようとしまいと、それはそういうもの、だと理解しています。

だからエフェクタは、使わなくなっても手放さないようにしています。
違う時に使えば違う音になる筈だから。

とはいえ結構長い事、基本は変わらない。ま、ちょっと持って行ってみますか。

2010年12月22日水曜日

ビビビビビン!

たいていのことは考えることで解決したり、進展の手立てを見つけられる。


先に考えをめぐらすことで、問題が生じるのを回避することもできる。


先日、私は久しぶりに人をビンタしたのだが。これは怒りに駆られてではなく非常に理性的な判断に基づく行動だった。


私は、相手にこう言ったのだ。
「あなたの失策は、まあだれでもやりかねないことで仕方ないと思っています。だけど私は現在とても忙しく、あなたのせいで余分な時間を無駄にしたことが腹立たしい。しかもこれから帰宅して徹夜で仕事しなければならない。そんな中で《あの野郎…!》とあなたへの怒りを思い出さないために、一発ビンタさせてくれませんか。そのくらいの形式をふんでスッキリさせれば、後でいらいらすることもないと思うので」

この提案は受け入れられ、私はおごそかに一発くれてやり…
そして予想通り、これは精神衛生を保つに、きわめて有効であった。

考えてもどうにもならないことはある。


考えても仕方のないことを
考えない工夫を
考えることは大切です。

KOZUE

2010年12月19日日曜日

某ハ吾是ダダ也ト云フ

ダダイズムがダダイズムという言葉になった時、
それを(敢えて)標榜した時、意識した時。

掲げた時。

多分それはもう別の何か。

手段でなく、目的としてイズムが存在した時、そこに齟齬が生じる。


そしてそれはあまりに醜い。

自身にもあまりに身近に存在する落とし穴なので、戒めとして。

だからロバートフリップ大先生も、キングクリムゾンのプログレッシブがメンタリティでなく音楽のジャンルの一つとして受け入れられそうになった時、キングクリムゾンはプログレッシブではないと言ったのだと、そう思います。

2010年12月13日月曜日

貼り紙

いろいろ飽和状態
うっかり忘れそう
忘れたら事故になる
事故は事故を呼ぶ

安全確認が必要だ!

注意を喚起するメモ書きが
あちこちに貼られた部屋にいる

エレクターの下あたりにUSBを落とした
あーもう面倒なトコに…
いろんな物をどかさないと
手がつっこめないよ!


とりあえず
「この下あたりにUSBが!」
と書いて、貼る


几帳面なのかずぼらなのか…


KOZUE

2010年12月11日土曜日

いい血が足りない。

今日は新曲作り、励んだ分疲れた。

そうはいってもここ10日ばかり、37℃を下回らないのだからそれなりの負担。

身を切るような不安という。

本当に切れるのか?否。

ならばまだまだであるに違いないのだ。

所詮、不安であろうとなかろうと、せずにおれない事は変化しないし、その切迫のさせ方はある意味で、自己に委ねられている。

だから、やるべき事をやる人間とやらない人間がいるのだ。

耽溺する精神を嫌悪しろ。

azrq

2010年12月10日金曜日

圧倒

オムライスはデニーズのものが基準。以前、品川駅でオムライスを看板メニューに掲げてる店に入って、美味しんぼばりに(見てない) 「なんだこれは。こんなもん看板メニューにしてんのか。デニーズのオムライスの方が数段美味いわ。」とちゃぶ台をひっくり返さず残さず綺麗に食べた。
huto,何にも触れていない感触がして、小学校の頃の朝の会を思い出した。歌をうたう時間(5、6分程度)があって、ドアを開けると、小学生の自分がクラスメイツと一緒にうたっていた。華原朋美のIm proudや玉置浩二の田園、スピッツのチェリーを小学生たちが一心不乱に唄う姿は、かなりシュールだった。想像。
そんなことをしながら、所ジョージのオールナイトニッポンゴールドを聞きつつ家路につく。後頭部や背中から出る、あのコミカルなじんわりしたもの(もしくはそれと正反対のどろどろした憎さか何かの塊)はなんなんだろうと考えつつ、流れてきた河島英五を身体に染み込ませる。
今年ラジオ収録に参加させていただいたエレファントより、2010年を締めくくる為の質問が届いた。
ここに書いてしまおうと考えたが、うまく締めくくれなかった。
寒くなって来たので、皆様体調崩さぬよう気を付けて下さい。悲鳴は揃って体調を崩しています。今週末は、久々に顔が見れるかな。暫くはライヴも無いので、また動画とかのせたいな。

kawase

2010年12月6日月曜日





モー

2010年12月2日木曜日

夜食だより

どんなときでも食欲のある自分には、安心できる。

生まれてこのかた、ショックで食欲が失せるという経験はしたことがない。

内臓が食欲ないよ、と言ってるときでさえ、気持ちは食べたくてギラギラしていることがある。

これは少しアンバランスだな。
人間、少しくらい食べなくたって死にやしないのにね。

喉が腫れてて液体が通るのがやっと、というとき
私はフライを手づかみでむさぼる夢を見ていた。
滑稽な!

一本の腸管であった生物の祖を思いながら夜食を食べます。

豆腐とほうれん草入りスープ
バナナ


控えめです

KOZUE