2011年5月15日日曜日

悲哀への中毒、ので終わる文章

徒に見たり感じたりすることが危険な人もいると思う。

そうでない人も勿論たくさんいると思う。

どうして、そんなに悲しいことにばかり目を向けて、そこから動こうとしないの。

そうしていたいの、それも分からないの。

何をなすべきか分からないの、生きているべきかも、分からないの。

それは、必要なことなの。

例えば分かれば、動けるの。それともそれでも動かないの。

それとも分からないと分かっているから、そこでうずくまっているの。

私になにができるの。あなたはなにをしているの。
なにがあなたを生かしているの。
この問いは見当はずれなの。

確かなものをなにかひとつでも掴んでいるの、それはあなたにとっても私にとっても同じ意味と大切さを持つものなの。

差し伸べる手、差し伸べられる手、それをどうしたらよかったの。

azrq

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