2011年10月30日日曜日

20111030_ende

出掛ける支度をしていた。
荷物をまとめていた。
家族でどこかへ行くはずだった。
ふと窓のカーテンを開ける。
出掛けるので、天気が気にならない事はないもの。

朝、遅くも早くもない朝。

なのに、

空が、金色。綺麗な。だけど見慣れない空。

雲がどんより出ている、筈。
そういう朝は、にびいろだと思う。

一瞬遅れて気がつく。

あれ、金色のあれは、雲間から零れた光だけじゃない。
投影されている。

文字が。

見覚えがない、文字。

大きな光が、金色をした光が、近づいてきて、光と窓を開けた僕との間にたちこめる雲には、一面に見たことのない、たぶん文字。
その雲の奥の奥から、這い寄るたくさんの影、影。


あ、終わった。
地球終わった。
人類終わった。


勘違いする余地も冗談にとる間もなく、意識が書き換えられる。


僕は家族のいる居間へ駆け寄る。
ごめん、もう駄目だ。地球終わった。

どうして?問うのも愚かしい。
とにかくおとなしくしていろ。

もうすぐ船が壁を突き抜けて、僕らの家は侵される。

それだけで済ませたい。
幸い荷物はまとめてある。妹にはなんだかすまないけど、シャワーを浴びる時間はなくなっちゃった。

確実に人間より格上の何かたちが、家畜を狩るような感覚で、小屋の鶏から朝卵をとっていくような気楽さで、こちらへ来る。

ほんの少し、相手の立場になるだけでいい。僕ら人間が、豚を屠るのに、その豚が毛繕いを済ませているか、親に、子供に、最期の別れを告げ終えたか、気にするだろうか。


だから、自覚してしまった。

ヒトとしての生を、終えたのだと。
実際どうなるとかじゃない。
葛藤はなかった。
恐怖もなかった。
ただ、認識が、書き換わった。

これからどうなるんだろう。

だけどこの感覚は、不思議と気持ちを軽くする。

少し、すまない気がする。
だけどこれから絶望することより、これまで背負ってきた絶望感から解放される浮遊感を、否定できない自分がいる。


そういう思いがないまぜなまま、目が醒める。


本当に予期しない、いい夢だった。マヤ歴はたしかに終わった。と感じる。


四ツ目

2011年10月29日土曜日

なに?

blgtzの曲とPVがよかった。新しいやつ。
イデオロギーって曲です。来月アルバムを出す彼らは、ぼちぼちメディア露出も増えて、来年1月にリリースツアー、2月はノベンバーズをOAに迎えてワンマン(原宿アストロホール)をやるようです。blgtzはなんだかんだで割りと長く知っているので、考える事が多かった。
しっかし、芯があると灯火は消えないもんだな。
さて、彼らになんて返事をしようか僕は。


kawase

2011年10月24日月曜日

怒る人

怒りをあらわにする人って
嫌いじゃない。
むしろそれができる人が好きです。

「怒るのにはエネルギーが要るからえらい」とか「相手を思ってこそ」云々…というきれいめのまとめじゃないですよ。


最近あまり怒る人を見かけないから
絶滅しないか心配だね。
てのは冗談としても。

怒ることすなわち暴力、みたいに思われがちな傾向はあると思う。これが嫌い

怒りはただの怒り。
それ単体で、正義でも悪でもない。
あ、ここです。ポイントは。

正しいこと言えるかはともかく
怒ったっていい。
怒鳴ってもいい。
その感情を、
表したり表されたりすることから
始まるものがある。


…っていう話をして
前に「あなた昔の番長ものマンガみたいだね」と言われたこと思い出したわ!


KOZUE

2011年10月16日日曜日

微熱のもたらす憂鬱の深度

信じるに易からざる不興、
天啓にとるも寒し
じっと忍ぶも寒し

ただ言葉を失う。
事物を見据え、考える

醒めていくよりも、壊して。


蘭のありようには、ただもう驚くばかりで。

そういう何かに、辿り着きたい。

azrq

2011年10月12日水曜日

日本ロックフェス

次のライブは10月20日(木)。
高円寺・無力無善寺にて


今年で7回目となる高円寺の秘祭
「日本ロックフェス」に出ます。

10/16(日)〜10/23(日)の8日間ぶっ通しイベント。
おそらく日本でいちばんスリリングなライブハウスで行われる、カオスな祭であります。

出演者とか詳細はこちらで。

◎日本ロックフェス公式ブログ
http://blog.goo.ne.jp/nihonrockfes/
各日1000円+1ドリンク
(全日見られる通し券\3000も予約受付中)
土日は15:30 OPEN&START
平日は18:30 OPEN&START


悲鳴は10/20(木)のトップです。
特攻(※もちろん"ぶっこみ"と読む)心が 騒いでならぬのです。


何が出るかな…

カオスという言葉もだいぶ手垢がついたけど、それでも日本ロックにはこの言葉を冠したくなる。


狂熱に似たものに、興味はない。
喜んで臓物を浴びにいくなんて茶番。

本物の感情を
××したいです。

私が欲しいのは恐怖と笑い。

KOZUE

2011年10月9日日曜日

続く。

手が、震えたり
呼吸が、浅くなったり
耳鳴りがしたり
なんだろうこれ

絶望が、人を変え、成長させる?

例えば溺れている人間が、
この危機を乗り越えた後の事など、ちらとでも考えると思うか?

馬鹿なこと。溺れている現実を打開する事で頭が一杯になるに決まってる。

絶望する瞬間には、何もない。
希望的観測、未来の展望、それらがないから、絶望という。

たまたま、過ぎ去る場合があるにすぎないのだ。

もしくは、絶望であったのは人間のおめでたい頭の中のみであったか。

呑まれれば、しぬ。そういうもの。

生きることがなんであるか、問い続けるのは楽じゃない。

答えが出ない事も、解っている。

要するに、それを忘れていられる程、満たされたがっているということ、
餓え、渇き、焦がれているということ。

じたばたするのも、時には。

苦しむのは嫌だ。
寂しいのは嫌だ。
是とならない自分が嫌だ。

小ささすら知ろうとしないこと

昏いということ

業にしては、本格的だと思わないか。

あたまがぐらぐらするのは勘弁してほしい。

このまま病気と認定されては敵わない。

いくつもの、感情を蔑ろにしてきて

今さらそれを持て余す。

笑止。

続く

虚、azrq

2011年10月3日月曜日

閉じる。金木犀の香

あそびごころを、知らない生は恥ずかしいものだと感じる。

とはいえそれは、遊んでいるのとは違うので、

あそびごころを知らないのとは違うと考える。

思うに、そう簡単ではない連中もいる、のだ。

海が好きな奴も、山が好きな奴も、わりと何でも好きな奴も、部屋で一人が好きな奴も、いるのだ。

結局この問いは繰り返される。なんとなく分かる。

そうしてこの次に辿る答えは、前や今回より幾分ましになっている。

自分がどこにいるかはあまり重要じゃない。

自分が何者なのかが重要なのだ。
azrq、四ツ目
備忘録としての。