2011年3月27日日曜日

あなたの繰る言葉が即ち言葉によるあなたである

欲しいものが明確であればある程、不遇を自覚せざるを得ないので、不幸です。

欲しいものが判然としないなら、明確に自己の存在を定義できない事に怯えなければならず、不幸です。

こう言ってしまうと、大体ある程度誰しも不幸のような気がする。
勿論、大体ある程度誰しも不幸なんだと思う。

最終的に行き着く答えは、欠伸が出る程真新しさに欠け、自分でも呆れる。

価値観は違って当然で、数の理論に基づいてそれぞれにヒエラルキーがあてはめられるのも当然。

それはそれでも決して受け入れる事ができない。

最後の最後まで、自らがよしとする何かを求めるのをやめてはいけないし、最後の最後には、常に折れずに自らの核を為していなければならない。

疑う事も理解しようとする事も、そこへ行き着く。

azrq

2011年3月20日日曜日

【告知】明日の悲鳴×paradise2マン企画について【キャンセルのお知らせ】





【東日本大震災の影響による、悲鳴出演キャンセルのお知らせ】 










明日の渋谷O-nestでの、悲鳴×paradiseの2マン企画ですが、 


諸般の事情により、悲鳴はキャンセルとなりました。 






楽しみにしていてくださった皆様、本当に申し訳ありません。 






悲鳴、paradise、ネストの3者で、地震の影響、 


情勢を見ながらギリギリまで話し合って来ましたが、 


最終的な判断として、悲鳴はキャンセルさせていただく形になりました。 








paradiseは、アコースティックセットという形になるかもしれませんが、 


出演する見込みです。 








悲鳴、paradiseともに大変残念に思っておりますが、 


必ず別の機会に、別の形で、イベントを行いたいと思っておりますので、 




その際には何卒よろしくお願いいたします。 












最後にもう一度、楽しみにしていてくださったみなさん、 


本当に申し訳ありませんでした。 














今後も悲鳴を、何卒よろしくおねがいいたします。 














2011/03/20 悲鳴 一同

2011年3月12日土曜日

地震













東北地方在住、およびすべての被災者みなさまの、一刻も早い救助・回復を、心よりお祈りしております。 




現在、家に帰れず御苑前の事務所にいます。 




地震が起こった時は一人でした。 

うちの事務所は8階なので、結構揺れました。 



最初はPCや複合機の保護を考え、手で押さえて警戒していたのですが、 

途中、棚から使ってないPCが落ちてきたのをみて、あ、これは無理かもと思い、 

身の安全を第一に考え、机の下に隠れました。 



次の瞬間、社長のPCが床に落ちて破壊されました。 

あんまり耐震構造じゃなさそうだし、普通にちょっと死ぬかもと思いました。 




そのあと揺れが引くまですごい冷静に対応してましたが、終わった後気づいたら手が震えていた。 

最中は全然気づかなかった。 




で、テレビもなかったので、速攻でツイッターと2ちゃんねるをつけました。 

2ちゃんねるでは、東北が震源地との情報があり、それぞれが自分の在住地域と、安否を書き込んでいませんでした。 


東北の人からの書き込みは、ひとつもありませんでした。 





で、とにかく立っているPCを全部横に倒し、目の前の公園に避難。 

TOTOの社員さんが大量に集まっていました。 




この時にはだいぶ余裕があって、綺麗なOLさんが制服姿でぼーっとしているのを見て、この地震でドキドキしているのを、ぼくへの恋愛感情と取り違えさせることはできないかとか考えていましたが、不謹慎なのでやめました。 




おにぎり喰いながら様子を見ていると、TOTOのビルから、部長とか専務とかとにかくえらいっぽい人が出てきて、帰るように指示していたようでした。 


ぼくも仕事があるので、事務所に戻りました。 





USTREAMをつけると、テレビの再配信で、ライトのついた車が津波にのみこまれていました。 

ようやく大変な事態になっていることに気が付きました。 




それから仮眠をとったり、ウェブ情報を見たりしながら現在に至ります。 




写真はうちの社長が、それぞれ地震発生時と、一通りおさまった後の空の様子を写したものです。 

たかだか30分で、空模様がこんなに変わりました。 

やっぱり、雲といえど地球の一部で、大地からのエネルギー(どんな?)を、受け取って反応しているのか。 






どうやら、史上最大規模の地震のようです。 

ネット上では、善意の人の呟きが、ずっと続いています。 

すごくいいことだと思います。 




でも、なぜか、なんだか自分でもさっぱりわからないのですが、居心地が悪いです。 









昨晩午後5時~8時あたりに、ツイッターでよく見かけたRTに以下のようなものがありました。 




【[拡散]これから夜になるとき 阪神大震災で最後に最大に悲惨に襲った災害 は、「治安悪化」による「人災」です 大切な人を守ってください 一人でいる人は、最寄りの知り合いと小さく ても良いのでコミュニティを作りましょう・避難した女性の方 絶対に一人で公衆トイレに行かないで”】 






本当かよ。と思いました。 

そんな話は聞いたこともない。 


でも、もしかしたらそういうこともあったのかもしれないと思って、google先生に尋ねました。 


すぐにこんなソースが出てきました。 


『阪神淡路大震災の混乱に乗じた強姦はあったのかしらという話』 
http://d.hatena.ne.jp/nankin/20070217/p1 







もちろん、最悪の事態に備えることは重要なことです。 

ツイートした人も善意でやっています。 

何より、こういうツイートして注意を喚起する人に、ぼくは個人的に好感を持っています。 






ただ、これを見たとき、なんだか変な気持ちになったのです。 

それ自体は全く問題じゃないのだけれど、なんだか… 









繰り返すようですが、ネット上には、善意が溢れています。 
それこそバーゲンセールのように。 





「お年寄りに歌を歌ってあげて」 



「外国人がいたら輪に入れてあげて」 



「子供にはトイレに行きたいか聞いてあげて」 









それは確かにそうかもしれません。 


被災地で、家族の安否も確認できない状況で、まだ震度6レベルの余震(それ本当に余震か?)が続く中で、原発非常事態宣言が出される中で、津波で家が消滅した中で、テンパってたら、そんな大切なことも忘れてしまっているかもしれません。 








「電力が足りなくなるからお店は営業しないで」 



「営業しないでって言ってるでしょ?被災者の気持ちわかってるの?」 



「みんな我慢してるんだよ。それなのになんで音楽なんてするの」 



「あなたのやってることは間接的な人殺しだよ」 









私たちは善人でそして間違ってない側にいる 






「報道ヘリはどうして助けないの!?見てるだけなの?」 



「日本人は文化的に感情を抑制する力に優れている(CNN)…日本人であることを誇りに思う」 



「ヘッドライトがついた車が…津波に…飲み込まれていく…」 



「感動した。災害でバラバラだったみんなの気持ちがひとつにつながった」 







被災者は沈黙する。ぼくはツイッターで、母さんが死んでしまったとか、家がなくなったという本人の書き込みを、まだひとつもみていない。(この先出てくるかもしれない) 





善意が、絶望的なほどの災害の前で、茶番劇か何かに見えてくる。それでも、こんなところで立ち止まっている自分より、善意の人の方が、100万倍もマシかもしれない。 









それでもぼくはやっぱり、善意の人にはなれそうもあれません。 

家に帰ったら、ギターを弾いて曲を書きます。日曜は普通に過ごして、月曜からまた満員電車にゆられます。 

節電はする。でも、それ以上はしない。何かしたいと思うことがあれば、するかもしれない。 



被災地にいてもいなくても 







医師は医療を 


自衛隊は救助を 


運転手は運転を 


キャスターは報道を 


整備士は整備を 


コックは料理を 


先生は授業を 


受験生は受験を 


サラリーマンは事務を 


絵描きは絵を 


宗教家は祈りを 


フリーターはバイトを 


売春婦はセックスを 


泥棒は盗みを 


ニートは何もしないことを 


恋人たちは愛し合うことを 








すべての人に感謝しながら、いつも通り全力でやる。 

明日津波が全部さらってしまっても、後悔しないくらい死ぬ気でやる。 





そこに後ろめたさを感じる必要はないなんて、、、そんなことに立ち止まってるの俺だけか。 

みんなとっくに先走っちまってるよ。 








すべての被災者に日常を 

すべてのプロフェッショナルに祝福を 





2011年3月7日月曜日

物質の証明









「大統領だって?私は目を閉じることさえ出来ればそれだけで幸せだよ。第三次世界大戦なんて想像も出来ないね」 

ま、そういうと思ったがね。小さく息のこもった笑い声が聞こえたかと思うと、少し間が空いて、それからカチャンと音がした。ダヴィド・ベン=グリオンは諦め、静かに受話器を置いたらしかった。 

老人は子供用の、おもちゃのようなチェアに座り、再びチェロの指板に指を添えた。 


この、"なまけものの犬"と呼ばれた老人の病は、要するに脅迫的なまでの妄想癖なのであった。その幼少期にほとんど話さなかったのも、要は外の世界へと引きずり出されなくなかったからだ。それが心配性の父親に強要されて、ある日とうとう引き付けの発作を起こした。以後、このやっかいな持病とは生来の腐れ縁となったのである。もっとも今ではほとんど発作することもなくなったが。 


弾き始めるとすぐに、「バィン」といって、弦が切れた。 


霧雨の降る窓の外を見て、老人は微かに顔をしかめた。外に亡霊がいたからだ。そのとき、ふと「あの日のこと」を思い出したのだった。老人は窓枠をスクリーンにした電影を見ながら、静かに苦笑した。 












水玉の蝶ネクタイに、背の低いグレンチェックのジャケットを着た亡霊は、陽ざしの傾いた黒板の前で、壊れた蓄音機のように繰り返し呟いていた。 


──このとき、我々がやかんを「熱い」というよりもむしろ、「痛い」考えるのは勢いよくこの粒子が指先にぶつかるからであります。つまるところ、熱とは振動のことなのであります。固体は振動せぬために冷たく小さく、気体は大きく振動し、挙句に暴れまわるゆえ、熱くまた大きく体積を持つのであります。粒子が、大きく暴れまわっているのであります。それがぶつかれば、当然痛く感じるのであります 

ここから我々が導き出す結論は、要するにエネルギーとは振動する力なのであります。世界はわずかな震えとその波により成り立っているのであります 

音が空気という物質の振動であるように、光もまた粒子の振動であります。動物にはなぜ目と耳が存在するのか。それは目が粒子を認識する装置であるのに対し、耳が振動を認識する装置だからであります 

かつてこの振動をして、プラトンに「影のような、目に見えない真実の世界のある」と言わしめたのでなかったか。偉大なるピュタゴラス氏が音楽家であったのは、波が作り出す真実の世界の存在に気づいてしまったからでなかったか 

しかし粒子といいましても、我々は結局その正体を存じませぬ。分子、原子、原子核といった具合に、モナドの中にははたまた小さなモナドがあり、そのモナドの中にはさらにまた小さなモナドがありまして、科学がやがて進歩しても、"万物の父にして絶対の最小単位"など、見つけることはできないのであります 






ならば── 













「物の存在なんて証明できない。あるのは震えだけさ」 


モーツァルトのレクイエムが鳴り響くと、老人の背筋に電流が走り、亡霊は悲鳴を上げて立ち去った。「der Depperte.(のろまな奴)」老人はつぶやいた。 


「誰もぼくには付いてこれないんだ。チューリヒ、いや、ミュンヘンのころからさ。それでもぼくはファシストどもを熱狂させた、あの狂人の考えには同意しかねた。ツァラトゥストラほど人に関心のあるわけでもないんでね…私は目を閉じることさえ出来ればそれで十分なのだ…」 


老人は立ち上がると、アメリカ式のうすいコーヒーを手に取り、暖炉の前に腰を下ろした。静かに目を閉じると、すぐ回想が始まった。みるみる内に、まぶたの裏に遥かなる明るい闇が広がっていく。あっという間に加速した。月をすり抜け、土星の輪をくぐりぬける。すぐに寒くなることはわかっていた。フロックコートの襟元に、ぐいとマフラーをしまいこんだ。冥王星の隣をぬけると、やがて本当に、何もなくなった。それでも加速を止める気なんててんでない。 


残念ながら私は科学者だからね。先が長くないことくらい知っているが、神には興味ないんだよ。 

この世界には巨大な白色矮星や、巨大なブラックホールがいくつもあって、その重力にあらがえず、期待した方向に飛べなかったとしても、それがいかほども問題だとは思わないさ。 

私を非科学的な人間とお思いかね。しかしながら残念なことに、自分だけは思い通りに飛べると考えている人間こそ、もっとも非科学的な人間なのだ。 

星と星とが愛の引力で引き合うとき、それを拒絶するのは、ばかみたいなことだ。脊椎は常に開いているべきなのだ。私は星の震えに共鳴するし、あまつさえ落ちていってもかまわない。ブラックホールの先は、必ず別の宇宙につながっているものだ。私はそこでまた、どこまでも飛ぶさ。 











老人は目を瞑ったまま、右手をふらつかせた。一瞬だけバランスをくずしたが、その手はやがて、すぐそばの楽器に触れた。老人は3本しか弦のない、チェロを手に取ると、静かに弓を引いた。波動が空間を充たし、深く、低い倍音が、白い壁で仕切られた、8畳の空間を歪ませた。 


最後の惑星ヘスペリデスを越えると、やがて何も見えなくなり、永遠の暗黒が広がった。すると今度はミュンヘンの空が見えた。映像はひっくりかえって、手袋を編む母親の姿が見えた。それから右へ倣えのあの連中が見えた。視界は暗転し、どこまでも飛んでいった。 


壮大なシンフォニーが老人の身体をかけめぐっていた。細切れの皴を刻んだわき腹に、鳥肌がぷつぷつと粟立っていく。この生理学的運動やがて尾骶骨のあたりまで達し、老人はぶるりと震えた。脊椎は宇宙の信号をキャッチする、神が与えた電波塔に違いないと思った。 





もしも 

もしも世界は、ほんとうは音で出来ているとしたら 


目に映る世界はにせもので 


本当のせかいは音でできているせかいだとしたら 





初めてチェロの音色をきいたあの日、老人の頭にふとそんな予感がよぎった。 







 














それから3年後、老人は宇宙へと飛び立った。今度は妄想ではなく、本当に光になったのだった。 









 


ところで今月はネストで2マンやります。 

1時間近くの悲鳴初のロングセットやります。 

昔の曲もやるから、ぜひ見に来てね。 





■悲鳴×Paradise2マン 

3/21(月・祝) 

渋谷O-nest 

出演:Paradise,悲鳴 

open 18:30 / start 19:00 

adv 2000 / door 2500 (+1drink) 






Paradiseは、ぼくが今一番好きな同世代のバンドです。 

公式HP: http://homepage3.nifty.com/alcoholriver/ 
myspace: http://www.myspace.com/paradaisee 

あまりに好き嫌いがはっきりしてしまう0点か満点しかつけられないようなライブも、すごくわかりやすいキャッチーなメロディにのった、彼らの純粋さも、ぜんぶんぜんぶ含めて大好きなバンドです。ぼくの中では、今2マンをやるなら彼らしかありえませんでした。 


彼らとの決闘は3月21日(月・祝)。渋谷O-nestにて。そして彼らにとっては、この日は、二枚組ニューアルバム、N'importe ou hors du monde発売記念企画でもあるとのこと。 


クウチュウ戦との紅白歌合戦との興奮が冷めやらぬ中ですが、ぜひ。 


今年は次から次へとやりますよ。デアデビルのスエタカさんの占いによると、劇的に前に進める、変わる年らしいですから。 




▼Paradise/海馬~Exultation is the going~ 




▼Paradise / Crazy Train 

2011年3月6日日曜日

色んな事を考えている。

色んな人やモノを目にする。

だのに、思考しない。

失せ物には、気を付けて。

あまりに、虚しい事。

胸が痛い時は、本当に胸が痛い。
精一杯、悲しい中にうずもれている何か、役に立つ何かを見つけようとする。

見つけたら、案外それは簡単に見つかる、見つけても、呑み込むのにとても力がいる。
とても苦しい。だってそれどころじゃない、今悲しいんだもの。

何度も何度も往ったり来たりしながら、ようやく呑み込む。
とても苦い。
吐きそう。

胸を張って、前を見て。
胸を張って、前を見て。

意外と、たくさんの思いや行為に支えられて、繋ぎ止められて、今ここに生がある。

記憶が糧、記憶は枷。

見る、感じる、考える。

動くまで、動くため、

ただもう二度と、悲しい思いをしたくない。

せめて、覚えていて。

帰り道。
胸を張って、前を見て。

冬の朝、扉を開けて、そこから見えた呪われた風景。

受話器の向こう、父の声。

母の痛ましい愛。

閉まる電車の扉、そこにいたもの。

みんな、大切な、痛み。

そうして、孵る時を待つ、卵。

砂漠のまんなかで、素手で掘って、辿り着けよ、それは虚しい行為なんかじゃない。

狐、虚、azrq、