欲しいものが判然としないなら、明確に自己の存在を定義できない事に怯えなければならず、不幸です。
こう言ってしまうと、大体ある程度誰しも不幸のような気がする。
勿論、大体ある程度誰しも不幸なんだと思う。
最終的に行き着く答えは、欠伸が出る程真新しさに欠け、自分でも呆れる。
価値観は違って当然で、数の理論に基づいてそれぞれにヒエラルキーがあてはめられるのも当然。
それはそれでも決して受け入れる事ができない。
最後の最後まで、自らがよしとする何かを求めるのをやめてはいけないし、最後の最後には、常に折れずに自らの核を為していなければならない。
疑う事も理解しようとする事も、そこへ行き着く。
azrq
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