置物、ぬいぐるみ。
ヒトのように会話は成立しないけれど、会話なんて成立しなくて構わない。
モノにこころは通わない。
その方が都合がいい。
ヒトの精神は、いつも勝手に僕の神経をなぜて通り過ぎていく。
力場が生まれる。
そこにあるだけで。
会話がなくても、そこにいるだけで。
それを知覚する苦痛のない、モノとのやりとり。
全部厭、という事ではなくて、そういう時間はありがたい、と思う。
おんもは刺激が強うございます。
楽しめない性格は枷に違いない。
だからこそ必死になれる事もあるのではないか。
四ツ目
置物、ぬいぐるみ。
ヒトのように会話は成立しないけれど、会話なんて成立しなくて構わない。
モノにこころは通わない。
その方が都合がいい。
ヒトの精神は、いつも勝手に僕の神経をなぜて通り過ぎていく。
力場が生まれる。
そこにあるだけで。
会話がなくても、そこにいるだけで。
それを知覚する苦痛のない、モノとのやりとり。
全部厭、という事ではなくて、そういう時間はありがたい、と思う。
おんもは刺激が強うございます。
楽しめない性格は枷に違いない。
だからこそ必死になれる事もあるのではないか。
四ツ目
ミクシとかどこそこの掲示板とか。
殊顔の見えないとこで見かける印象。
位相の事が分かんなくて調べてたけど無理でした。ちんぷんかんぷん。
けどこんな僕でもミックスやるんですよ。悲鳴の音は基本僕が監修します。
そろそろ出る2月26日の企画の記念盤的なものでは、クウチュウ戦の音も僕がミックスしました。
理論の話は分からないから、本当に感覚だけでやります。
プロの方々には鼻で笑われても仕方のないクオリティに違いない。
でも僕プロじゃないし、今はそういう知識、多分要らない。
脱線しましたが、何が言いたいかっていうと、
音の話をする時は、正しい日本語を使うこと、謙虚な態度で伝える努力をすること
この二つをまず踏まえないといけないと思うって事です。
音キチに特に多いですが、自分の耳と感覚を大切にするあまり、そうでない素人、というか大多数の普通の耳を持ってる普通の人を、あまりに下に見る態度で接する感じがするのです。
ひけらかす為に得た知識じゃなかった筈だろう、そんなことにしか使えないのならもう捨ててしまえよ、と思ってしまいます。
だってそれじゃ分かり合えない。
音の話だけでなく、コミュニケーションってそういう側面を少なからず持ってると思います。
傷つけるための言葉に耳を傾けてくれる人なんていない。
音って目に見えないから、相手とどこまで共通理解を持ててるのか、すごく分かりにくいので、それだけに相手がどういう人間かも見えてしまう気がします。
PAって大変。
ですからどなたか今度僕に位相の事を優しく教えて下さい。
林
北杜夫という作家がいます。
本物の躁鬱です。
「どくとるマンボウ昆虫記」とか「どくとるマンボウ航海記」などのエッセイが一番有名なのかな。
「夜と霧の隅で」「楡家の人々」など純文学もものしてますが。
ユーモア文学的な作品が、めっちゃおもしろいんです。
中でもこの人が躁病期に書きとばしたと思われる作品の、異様なほとばしりが好き。
「父っちゃんは大変人」とかね。
困ったな。書いておいてなんだけど、堂々と北杜夫文学の代表みたいに推薦するような本じゃないんですけどねぇ。
いいオッサンが急に独立国家つくるとか言い出して日本にいながら独立宣言してその国の代表としてオリンピックに出ーる、と無理矢理出場してオリンピック会場のプールで溺れる…とか。ほんと、しょーもないんだけど。
思いつきでぐいぐい行く推進力にひかれます!
夏を待つ
KOZUE