2011年8月30日火曜日

戦い方を知る

予告通り甲子園に乗り込み、
2日で5試合ばっちり観戦してきました。

一番おもしろかったのは3回戦、
習志野VS金沢の試合。
習志野の…甲子園では初登板だった2年生、在原くんの投球に魅せられましたね。
対する金沢のエースはプロ注目の、
150キロ出しちゃう本格派。

在原くんのストレートは130キロ台だけど、100キロ程度のスローカーブとの
絶妙の配球で打ちとってみせるのが小気味よい。
さらに、ときどきスピード計測できないくらいおっそーい、山なりの球も効くんだよね。みんな、おもしろいくらい見送っちゃうのだ!

まさに相手を翻弄する組み立てで、
早いリズムでぽんぽん放ってくる。
バッターが「ちょっと待って」とボックスを外す場面も多々。

ところがランナーを出したり
カウントが悪くなると
見てるだけの私でさえ焦れ焦れするくらい、間を長くとってくる。
主審が何度も、ときにかなり激しい口調で
「早く投げなさい」と急かしてた。
高校野球ではあまりない光景。
しまいにゃ塁審まで「さあ、いこーか」なんてやんわり促したりしてね。

彼はその調子で投げ勝ってしまうのですが。

自分のペースをつくって
力を出せる環境をつくる戦い方ってものを
見せてもらった試合でした。

あの図太さは尊敬に値する。

素直にまっすぐいくばかりが真っ向勝負じゃない。

KOZUE

2011年8月27日土曜日

11月5日に、吉祥寺GOKsoundsで企画やります。

詳細は未定。
一緒にやりたい方は知らせて下さい。

先日発売された、tokyo graffitiという雑誌の企画に、悲鳴が掲載されました。

YOUTUBEで動画も見られるようです。
音質が完全に耳レイプです。

ちゃんと業務連絡できた。

林。

2011年8月22日月曜日

全肯定バニシュ

一体誰に、誰のために、と問われれば、

それはやはり自分のためにとしか、言いようがないのでした。

それよりも浅い、口上に過ぎない、いかにも耳に、徳義心に心地よいせりふもやはりたくさん浮かびはするし、それも強いて嘘なのに、と思い込もうとするつもりもないのですが、

最後にはやはり自分のために、としか言いようがないのでした。

あなたや、あなたは、違いますか。

なんのことを、そんなこと私の知るところではあり得ない。
その代わり、きっとあなたにもあなたにも、思い当たるふしがあり、それのことをさしているのには違いない。


実に半年振りの、浮遊感。


世界から距離をとることは、意外にも窮屈ではなかった。

けれども満足をくゆらせる魂には、足がない。

空虚な肯定はしない。
ただ、見つめ、感じ、考え、形にしようと試みる。
その選択のすべてに、誤りはないと、すべてが正しい道であると。
もし問うてくれたなら、そう答えると決まっている。

止まる歩みは存在しない。
総ては無駄でいられない。

悲鳴はしばらく人前に出ませんが、次やる時の音を聞けば、きっとそれは必要なことだったと、感じられるようになろうとしている。
四ツ目

2011年8月18日木曜日

部屋で映画dvdを見ようとした時。
始めにある、会社のずーんてやつ(例えば波が岩に当たってざっぱーみたいなやつ)をすっとばそうと思って、スキップボタンを押した。その時、うちのテレビ画面には『その操作は、今禁止されています』と出た。『今は操作できません』ではなくて。『その』と言われると、少しどきっとした。今、まさに自分がやった動作を指されたから。しかも『禁止されています(俺もさ、やらしてやりたいよ。でもほら、な、だめ…なんだよ)』という感じがまた。
テレビと自分の間に流れる空気がなんとも言えなかった。

皆さんはコミュニケーションてなんだと思いますか。僕は錯覚できた瞬間だと今は思います。僕はあなたの事なんて知らないし、分からない。でも勿論、わかりたいと思う人もいます。違いを認め合いながら、わかり合えないと分かっていながら、それでも伝え合う。その努力の途中、時々『あ、今つながったかもしれない』とか『伝わったかもしれない』と感じた時、それをコミュニケーションというのかな。

ということで。テレビと、一方通行の思いを共有した気でいる切ない片想いの話でした。

kawase.

2011年8月13日土曜日

3年ぶり12回目

3年ぶりに夏休み作って
来週、甲子園に乗り込む予定。

ようやく人並みに日焼け対策するようになったものの
試合に熱中してくるといつのまにか
腕にかけてたストールは落ち
半袖を肩までまくっちゃってる始末。

たぶん少し焦げてきます。


一球一球、配球を考えながら見るのが好きです。

一球一球に勝負と物語があって、
それを読む楽しみがあるから
どんな試合もおもしろい。

KOZUE

2011年8月7日日曜日

私が私である事を知る

悲鳴夏休み企画が無事終了いたしました。
疲れましたが、とても充実した時間でした。

桜木町の退廃が好ましいと感じたのは、自分としては発見でした。

動物園に行くのも随分久し振りの事で、生き物を間近に見るとてもシンプルなわくわくする気持ちを楽しませて頂きました。

同時に、関係のない部分で、私という人間が刻々変化していくのを感じます。

言葉にあらわすのはむつかしいのですが、知ること、予想することの意味を教えられた思いです。

個人的にはまだ少しどたばたする日々が続きますが、私という人間が存在する重みが、少し認めうるものだと思い始めた次第です。

ヒトのありようは和音。
構成も、複雑さも、響きも、
届かない事に絶望するのは、まだ少し早い。

四ツ目、azrq

2011年8月1日月曜日

あさってライブです

「まけないで、とも喰い」
8月3日(水)@東高円寺UFOCLUB
OP 19:15/ ST 20:00 ¥1500(+1drink)
出演
otori
core of bells
worst taste
悲鳴


自分で企画し誰よりも楽しむ…
私が知る限りもっともキャラ立ちの優れたライブ企画者(笑)、いしいもちこちゃんの企画です。
おにぎりとかおやつも出るらしい!

20時スタートってのもいいよねー。


この日は買ったばっかの、
鷲だか鷹だかのTシャツを着ようかな。
これを機に鷲と鷹の見分け方を覚えることにしよう。


KOZUE

そは人間内側をずっと見つめる

あなたが闇を見つめる時、闇も等しくあなたを見つめるとかなんとか言ったのは誰だか分からないのですが、
この言葉に言及するのも複数回目ですが、

闇とはいかにも抽象で、つまりなんの事なんでしょうか。タブーの事でしょうか。

僕個人としては、内的情動はすべて闇と同じ意味にとらえてしまいます。

あなたが感じる事は僕には闇です。

僕の心臓のからくりは闇です。

脳科学はまだあてにならないと感じます。
ヒトが繰る言葉で繋がりや仕組みを説明されても、それらの言葉はいつもあまりに脆いから。
それにそもそも茂木某は不粋極まりないからです。

語るに落ちる人物評はやめにして、
僕のここで言う闇を見つめる時、闇は僕を見つめてはくれないと感じます。

不安や怖気の事を闇に置き換えても、しっくりこない。

そこにある事は、知っているし感じてもいる。
けど、繋がれない。という感覚が拭えない。
こういうもののような気がする。

きっと時間が経つにつれて感じていた違和感は、このあたりの認識の違いから来ている気がします。
少し整理がついたかもしれない。

調子、というものはどうしてもあって、その表出の仕方が一人ずつ違うから、安心できる奴もそうでない奴も、
扱いやすい奴もそうでない奴もいる。

一時的な調子も、長い期間に及ぶ調子もあるといえばある。

原因と結果は同じ事象の内的作用と外的作用の差でしかないものだから、
入れ替わり立ち替わりする。

見て、考えて、行動する。

変化しうる事を、受け入れる。

そは人間、うつろい易いもの。

四ツ目、azrq