2011年8月22日月曜日

全肯定バニシュ

一体誰に、誰のために、と問われれば、

それはやはり自分のためにとしか、言いようがないのでした。

それよりも浅い、口上に過ぎない、いかにも耳に、徳義心に心地よいせりふもやはりたくさん浮かびはするし、それも強いて嘘なのに、と思い込もうとするつもりもないのですが、

最後にはやはり自分のために、としか言いようがないのでした。

あなたや、あなたは、違いますか。

なんのことを、そんなこと私の知るところではあり得ない。
その代わり、きっとあなたにもあなたにも、思い当たるふしがあり、それのことをさしているのには違いない。


実に半年振りの、浮遊感。


世界から距離をとることは、意外にも窮屈ではなかった。

けれども満足をくゆらせる魂には、足がない。

空虚な肯定はしない。
ただ、見つめ、感じ、考え、形にしようと試みる。
その選択のすべてに、誤りはないと、すべてが正しい道であると。
もし問うてくれたなら、そう答えると決まっている。

止まる歩みは存在しない。
総ては無駄でいられない。

悲鳴はしばらく人前に出ませんが、次やる時の音を聞けば、きっとそれは必要なことだったと、感じられるようになろうとしている。
四ツ目

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