2010年10月31日日曜日

組成について

ひとりの人間が紡ぐ物語には、
絶対にわかりあえないという現象がない。
埋められない溝がない。もしくは足りない。

という事を思いました。

高円寺で酔ったじいさまにお説教を垂れてもらうような、苦虫を噛み潰した顔しか出来ないような心象がない。

じいさまとはわかりあえなかった。鮮烈に明確に事実でした。

最後に言ったのは元気で長生きしてねという事、けどもそれさえ、新しいお説教の種でしかなかったろうと思う。

言いたいだけの魂とは交感は有り得ない。こちらが我慢するだけで。そしてそれは往々にして最良の策。

そんな類の話、実社会ならいくらもある。

けれど、物語の中では見かけない。

外の世界は嫌な魂が一杯で、やたらに曝す事のないように、大事に守ってきた僕やあなたの魂は、どこに向かって芽を出し、伸び、開花しようともがくのですか。

孤独のうちに美しい物語を紡ぐのが、最後まで捨てずにいる大切な思いなのですか。

以外と今まできちんと認識してこなかったので、それを僕は自らに問わなくちゃいけない。

言葉は入れ物、中身はこころ、
こころは即ち、あなた自身。


四ツ目、azrq

2010年10月29日金曜日

live

今日は夜、小岩bushbashにてライヴ。
短い時間ですが、お待ちしております。

2010年10月27日水曜日

とあるSM愛好家のある日の戯言

「だいたいSMバーとかって男女の値段が違い過ぎんだよ。別にたかだか1万や2万をケチるわけじゃないが本当にそれでいーの?って思う。だってそれじゃ風俗じゃん。あんたら女、馬鹿にされてんだよ?って思うね。数万払った男は、「タダ」で来てる女の子に対してどこか偉そうで、当たり前のように身体触るし、女の子の方も「え〜」とかいいながら言いなりになってる。そういうの何回も見て、すごく失望した。女の子を男と対等にさせないために、あのおかしな料金体系はあるとしか思えない。

自立した、しっかりした自分の考えを持ってる、カッコいい女なんて、理想過ぎんのかも。でもおれそういう女の子が好きだから、それを拒絶するシステムは攻撃しまくるよ。
経済的にも、性的にも、自立した男女による、アナキズム状態がおれの理想だけど、結局乱交パーティになるとまず例外なく通常以上に男尊女卑の父系社会になんのね。何か裸で男女がもつれてるの見てると猿山みたいで、これが人間のデフォルトなのかと達観してしまったところもあるが、ぼくはやっぱ自分の考え持った女が好きだな。

禁止の ない 世界


(チンザノロッソinウォーターフォードラ2)

社会は女の子に禁止押し付けすぎ!経済活動禁止、セックス禁止、思想活動禁止、そんなんだからイザナミの行き場所は黄泉の世界しかなくなっちゃうんだよ!女と出雲にあの世と無意識全部押し付けやがって!
それで今さらになって、「うわ、イザナミ、ゾンビみてぇ、怖ぇ」なんてちゃんちゃら可笑しい。女に死者の役割押し付けたのはお前だろうがと。死者は語らないよ。死者は自分からはセックスしよなんて言わないもの。死者は鏡になるだけだよ。それが恐ろしい形をしてるというならおまえの心が恐ろしい形してんだよ。な、男!

だからもう女の子が男のワガママ汲んで死者の役割黙って受け入れるって言うならおれはもう黙って弔うよ!天皇陛下だって未だに毎年出雲に弔いに行ってんだからな!だけどおれは政治が嫌いなんだよ…アナキズム以外落ち着かないんだよ。おれ絶対女の子より偉くないし。あらゆる上下関係なんてなくなればいいのに。

階級社会が嫌いだからSMやるんでしょ?政治セックスごっこやって上下関係反転させて「どっちが主人だ」とか「奴隷だ」とか「豚だ」とか「神殺し」だとか「神を殺せない」とかもう全部リセットして、みんなみんな手をつないで大団円の、ハッピーエンドになればいいのにね。あーあ。

そしてぼくは記念撮影のその時になって、誰にも見つからないように、こっそり、ひとりリュックを背負ってこの街を出ていくんだ…。もう帰らない死者たちを弔うために。海に行くために。やーいばーかばーか」


げに酔っぱらいは凄まじき。

by ガンディ

2010年10月26日火曜日

脳をおかされる、感じ

本屋で流れるバッハのピアノ曲に
いたたまれなくなって、そわそわした。

一粒一粒の音がいやに立って、刺さる。
いや、不愉快な演奏という意味じゃなくて。

よすぎて、ひとつひとつをスルーできないのだ。

本を選ぶということに……別のことに頭を使いながら
聴ける音楽じゃなかったということか。

引き裂かれる感じ。

私は音楽を流し聴きするのが苦手であり
頭の中で音を「拾って」しまうのはいつものことなので、
通常このくらいの場面で困ることはないのだが。

自分の調子のせいなのか
演奏者のせいなのかわからないけど
今日はやけに音にぐいぐい入ってこられる感じがして
少し恐ろしくなった。

その興奮が
まだ残っている。

2010年10月23日土曜日

凍結

冬が近い。
10月に入ってから今日ようやく、神経がざわつかなくなってきた感じがする。

血が滞る、神経は静かに深くへ篭る。
こころは燃える、視線は彼方から逸らさずにいる。

まだまだ僕のこころは広がらなくちゃいけません。まだまだ感じ足りない。

あなたの顔を見せて。眼を見せて。声を聴かせて。あなたのうたを聴かせて。音を聴かせて。こころを見せて。

それは手段ではない、目的として。

だからまずはこちらから、投げかける場を大切にしようと思います。

今日は高円寺無力無善寺でライブ。

azrq

2010年10月22日金曜日

どよー

10/23(土)
高円寺 無力無善寺
《まぜるなキカク》
開場/開演:18時
料金:1500円+ドリンク

【出演】
坂上弘
ヤング・フラッテリィズ
アンダースローバレリーナ
かんぴんたん(テルミンダンスのYuppiとAsuka)
TASKE
生死鴉
アウトサイドローム
ルーシー vs 魔ゼルな規犬
悲鳴

司会:でんでん植松/魔ゼルな規犬


新曲ヤリマスヨ!


KOZUE

2010年10月18日月曜日

ショートスリーパー

私はどうもショートスリーパーってものらしい。
その言葉を知る前は、ただの「宵っぱり」だったんだけど。

自分の部屋で一人で寝るようになってから
夜更かし人生はスタートした。
布団の中で本を読みながら眠くなってももうひとがんばり、
寝かかってももうひとがんばり……と続けて
完全に落ちるまで起きていようとする。
このパターンは今もまったく変わらない。

小学校5、6年の頃、12時ごろまでラジオを聞くようになった。
(それから寝床で本を読む)
中学3年のときは3時〜4時にかけてのFM番組を愛聴してた。
(それから寝床で本を読む)
まあその分、授業中によく寝て睡眠を補っていました。

もって生まれた体質もあるかもしれないけれど
起きているのが好きだという必然性があって
平均3〜4時間ですむ
ショートスリーパーに「なった」ような気もします。


私が一年で一番よく寝るのはお正月、実家に帰ったとき。
単純に疲れが出る時期という以外に、
実家の空気が疲れるせいもあるとにらんでいる。

実家は、なんとも時間がゆっくりと流れている。
ふだん私が過ごしているペースと違いすぎ、
うまく動けなくてソワソワする。
「テレビを見ながら家族としゃべってる」とか、
そんな時間の過ごし方忘れてしまって、
落ち着くやり方がわからなくて落ち着かなくて
ついそこに置いてあるダンベル持ち上げながらしゃべったりする(笑)。

実家の人間は3人。
3対1だと、向こうのリズムに負けるみたい。
重いGがかかっているような感じ。

一方、実家住まいの姉が言うには
私が実家にいる間は、ふだんより睡眠時間が少なくてすむそうなのです。
放出するエネルギーを吸いとられているのか?
謎です。

ああ、今日もやりたいこと全部はできなかったけれど。
起きてる限りはがんばった。
明日が来ることを信じて
おやすみなさい。

2010年10月17日日曜日

言葉、属性

親しい方と言葉を交わす事がここ最近多くて、始終真面目に受け答えしていても、冗談を交えながらのものであっても、ちゃんと会話するのであれば、どうやらそこには許容量というものがあるようで。

それはどこに返すべきものでもなく、間違いなく自分にのしかかる。いつも。

現象としては本当にぼんやりしたものとしてしか感じられないので、最近そうなったのか昔からだったのか。とにかく最近は、顕著に影響を感じます。

なんだか、呼吸が億劫になるような、おなかに力が入らないような、そんな感じ。

真剣に会話をする事が、嫌なわけでは当然ないので、これは僕にとって自然な事なんじゃなかろうかと思うようになりました。
にしても、面倒な現象には違いない。

自分が真面目な気持ちで思うところを言葉で相手に伝えて、なぜ後になって同じ言葉に僕は苦しまなきゃいかんのだろうか。

不思議な属性。
なんとなく、それは必然だと思うし、それは閉じる理由にはならない。多分機会があれば同じようにまた人と会話をする。

言葉は呪わしい、それでも一番使い勝手のいい道具。

本当に呪わしいのは、言葉じゃないのだろうけど、今しなくちゃいけない事は全体そんな事とはちっとも関係がない。

雑な心象の日が続いている。

重心は常にその位置を変える、日の光に当たるのが必要な時もあれば、日陰にいたほうがいい時もある。

脆い。それならそれで。


azrq、林

2010年10月15日金曜日

i予感youcan (HのあとにはIがある  、的な感じだ)

伊予柑ようかんとキノコを食って仕事へ。
耐えきれず海へ逃亡(自転車に乗って疾走しているのが僕です)
湘南ビール(雰囲気)を飲んで現実に帰る。
まったく集中できない。とりこぼした。
浅草に行ってカミナリハイボールを飲んで帰るも、
ヴィデオに映った自分に耐えられず散る。
周辺各地の皆さまに、感謝したい。
2010年10月15日。今日も決まった光は開き続ける。
伝え難いことも、その逆も。






2010年10月12日火曜日

Fang Island

感動的過ぎて









涙が出てきた

独立独歩

バンドを始めてからずっと、私のポジションはベースであります。

このポジションに甘んじないように、
ということを定期的に考える。
忘れてないつもりだけど、忘れないために。

フロントマンの後ろでベースを弾くというのは簡単なことだから。

あからさまに目立つ、とかそういうことじゃないけど。
メンバー全員がフロントを担うと同じ意識でやっているバンドは強い。
そう、あるべきだと思う。

実際にひとりで全部を担うことを、体験してみたいと思っている。
これまでやったこともないのですが
「ソロで出演してみませんか?」
という誘いをいただいたことがあり、
声をかけてもらったことに感謝はしつつもお断りすること、数回。

いずれはやらなきゃいけないと思う。

何をやるのかも、まるでイメージ固まらないけれど。
なのに私、自分のソロアルバムのタイトルだけはもう決めてあるんですよ(笑)!

なーんだ。やる気満々じゃない?

2010年10月9日土曜日

王貞治ベースボールミュージアムに行ってきました。
今度の帰省は一週間と長く、毎度の事ながら特に予定も決めずにふらふら過ごすつもりです。

王さんとこを見に行くのは、悲鳴のベースこずえさんたっての希望から。

自分も生粋のホークス好きですし、うきうきで行ってきました。

野球人としてだけではなく、人間として尊敬できます。

一流のアスリートは、なんていう感じでよく語られるところですが、別にただの人間なので、そう言われるとあなたは?と思ってしまう。

僕はまだ右の人を見ても左の人を見ても自分を確かに持っている自信を疑うような侏儒ですが、獲得したい人格と向上心は揺らがずに持っていたいと思います。

まだまだよく分からない事が多い、それに、全てを知りたいと思うわけじゃない。
でも少し前みたいに、世界の全てのものを善し悪しと好き嫌いに選別するだけで分かったつもりに、自分の世界を切り取ったつもりになるのは嫌だと思う。

福岡はきれいな町です。特に僕んちの近くは、建物もきれい、道も広い、食べ物もおいしい、きちがいもいない、海も山も近い、人も適当に少ない。
交通マナーはかなり最悪ですが。
隠居するにはもってこいですね。

異様に全てのものが懐かしいけど、参加すべき場は見当たらない。
だから腰を落ち着けるのは随分先の話だと自分で感じました。

こうして日が暮れて、神経はその間に弛む。また張りつめても切れない為に。


四ツ目、林

2010年10月4日月曜日

流れる音

初めて曲を作ったのは小学校にあがる前、6歳くらいのとき。
歌詞の書きつけは、たぶんどこかに残っている。
メロディーは完全に記憶に書いてあるだけです。
(昔から何度も脳内リピートしているから、上書き更新はされてないはず)

私の通っていた幼稚園はせっせと歌を教えるところで
そのレパートリーからの影響か、
いかにも「音楽の教科書」に載ってるような曲。
AーBーA形式(これ、小学校の高学年くらいで習う知識ですよね)
になってたり…きちんと模倣されてる具合がこれまた恥ずかしい。

歌詞はもっと恥ずかしい!
むじゃきでかわいい童謡路線じゃなくて、
「ちょっといいこと言ってます、暗喩的に!」みたいな。
いや、もちろん幼児の作品なんで文脈の辻褄なんか合ってないんだけど。
(ここまで書いてしまったんで、最後の一節だけ恥を忍んでさらすと…
「大きな星を小さな星と見分ける力がありません」《原文ママ!》だって!)

なんでこんなことを反芻しているかというと
自分が意識的に曲を作り始めたのはいつだろうと思ったからです。
小学校高学年くらいかな。

この最初の曲は鼻歌発祥で、「作ろう」と意識して作った曲ではなかった。
6歳当時(作家気分満々で)「さあ書こう」と振りかぶって
物語めいたものとか、エッセイ気取ったものとか書いていたので、そこの差は明確。

小学生頃になると、学校で習った曲になんとなく続きをつけたり
10番くらいまで続きの歌詞をつけたりしていた。
これも、ただ、もっとその音楽を続けたいという気分で遊んでいたんだなあ。

もちろん、こういうふうに「自然にできたもの」が素晴らしいとか思っているわけじゃないです。
ふり返って考えるのは、無意識のそれは、自分のために必要なものだったと。

人前で音楽をやってるとかやってないとかに関わらず
だれもがおそらく、そういう自分の音楽を持っているんだろう。
とても短いもので、自分でもそれを持っていることを
気づいてないかもしれないけど。
たとえば既製の曲のメロディーや歌詞の一部を
知らず知らずのうちに自分で変えちゃってる、なんてのも含めて。

そういう音楽がある、と思うとなんだかとても楽しい。

2010年10月3日日曜日

月が見ていて、だから笑う

夜が静かになってくる頃です。

どこに身をおいていても、あなたという人間からあなたは逃れられない。

あなたが手に入れた居場所も、仲間も、罪も、思いも、孤独も、みんなあなたのものです。

逃げる事も快楽で、苦痛。

闘う事も快楽で、苦痛。


愛とは、人間のいとなみに、誠実に向き合う事。

鯨に烏はなれない。憧れるのをやめない。その先に待つものを、見届ける必要がある。

2010年10月1日金曜日

1010010111

 













すっかり涼しくなりました。    
決まった光はそれでも開き続ける。
伝え難い思いはそのままに。
今日は何年何月何日。平日休日。
今日という日は。

hemay kawase