2010年10月4日月曜日

流れる音

初めて曲を作ったのは小学校にあがる前、6歳くらいのとき。
歌詞の書きつけは、たぶんどこかに残っている。
メロディーは完全に記憶に書いてあるだけです。
(昔から何度も脳内リピートしているから、上書き更新はされてないはず)

私の通っていた幼稚園はせっせと歌を教えるところで
そのレパートリーからの影響か、
いかにも「音楽の教科書」に載ってるような曲。
AーBーA形式(これ、小学校の高学年くらいで習う知識ですよね)
になってたり…きちんと模倣されてる具合がこれまた恥ずかしい。

歌詞はもっと恥ずかしい!
むじゃきでかわいい童謡路線じゃなくて、
「ちょっといいこと言ってます、暗喩的に!」みたいな。
いや、もちろん幼児の作品なんで文脈の辻褄なんか合ってないんだけど。
(ここまで書いてしまったんで、最後の一節だけ恥を忍んでさらすと…
「大きな星を小さな星と見分ける力がありません」《原文ママ!》だって!)

なんでこんなことを反芻しているかというと
自分が意識的に曲を作り始めたのはいつだろうと思ったからです。
小学校高学年くらいかな。

この最初の曲は鼻歌発祥で、「作ろう」と意識して作った曲ではなかった。
6歳当時(作家気分満々で)「さあ書こう」と振りかぶって
物語めいたものとか、エッセイ気取ったものとか書いていたので、そこの差は明確。

小学生頃になると、学校で習った曲になんとなく続きをつけたり
10番くらいまで続きの歌詞をつけたりしていた。
これも、ただ、もっとその音楽を続けたいという気分で遊んでいたんだなあ。

もちろん、こういうふうに「自然にできたもの」が素晴らしいとか思っているわけじゃないです。
ふり返って考えるのは、無意識のそれは、自分のために必要なものだったと。

人前で音楽をやってるとかやってないとかに関わらず
だれもがおそらく、そういう自分の音楽を持っているんだろう。
とても短いもので、自分でもそれを持っていることを
気づいてないかもしれないけど。
たとえば既製の曲のメロディーや歌詞の一部を
知らず知らずのうちに自分で変えちゃってる、なんてのも含めて。

そういう音楽がある、と思うとなんだかとても楽しい。

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