絶対にわかりあえないという現象がない。
埋められない溝がない。もしくは足りない。
という事を思いました。
高円寺で酔ったじいさまにお説教を垂れてもらうような、苦虫を噛み潰した顔しか出来ないような心象がない。
じいさまとはわかりあえなかった。鮮烈に明確に事実でした。
最後に言ったのは元気で長生きしてねという事、けどもそれさえ、新しいお説教の種でしかなかったろうと思う。
言いたいだけの魂とは交感は有り得ない。こちらが我慢するだけで。そしてそれは往々にして最良の策。
そんな類の話、実社会ならいくらもある。
けれど、物語の中では見かけない。
外の世界は嫌な魂が一杯で、やたらに曝す事のないように、大事に守ってきた僕やあなたの魂は、どこに向かって芽を出し、伸び、開花しようともがくのですか。
孤独のうちに美しい物語を紡ぐのが、最後まで捨てずにいる大切な思いなのですか。
以外と今まできちんと認識してこなかったので、それを僕は自らに問わなくちゃいけない。
言葉は入れ物、中身はこころ、
こころは即ち、あなた自身。
四ツ目、azrq
林
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