いいにも悪いにも理由はあるはずで。
「調子がよかった」とか「悪かった」とかですますのは
自分のレベルでは、あまりにものを考えない傲慢な態度だと思う。
しつこいようだが《自分のレベル》では
「調子がよかった」は「よかった」で
「調子が悪かった」は「悪かった」といえば十分なのである。
「よかった」ときは己の中で密かに喜び、その理由を考えて覚えておこうと思う。
「悪かった」ときは、人前でそれにダメージを受けていることを
あらわにしないよう、理性を総動員する。
どんな負け方をしても胸をはっていなくては。
下を向いてるのはみっともないし、人に慰められるのは最悪だ。
(もちろんケースバイケースで、そうした人間関係を否定するわけじゃないけど)
慰めていただいて自分を甘やかすのは何にもならない。
一人になったときに自分を罵倒しすぎるのも禁止。
自分をただ責めるだけの行為は、問題をなし崩しにすることになり
それもまた、ただの甘えでしかない。
本当に「悪かった」ときは、自分を「馬鹿、能なし」と責めることも許さず
ただ事実の下に轢かれているのが、最高の反省になる。
少し話がそれてしまった。
これまで私はよく「よい状態」を作る、保持するにはどうすればいいかということを考えてきたけど
最近ちょっと考え方を変えた。
難しい環境、自分あるいは周囲のコンディションが悪い場合にも
いかに《よく》できるか、を考えるようにしてみた。
この方が実戦的ではないか?
こういうふうに考えると、ちょっとしたことに躓かずにすむように思う。
もっと強くなりたい。
私の一生のテーマです。
もっと強くなりたいって良いテーマだと思います。
返信削除ただ、まわりのコンディションを良くするには、ときには強い自分だけじゃなく弱い自分をさらけだす勇気も「強さ」だと思います。
自分のことを知るのは人のことを知るよりも遥かに難しいはずなので、まず身の回りの人のことを理解できるようになって、一人一人に適した対応がとれていけば必ず自分自身ひとまわり強くなっているはずです。
その後でまわりから見た自分と自分自身から見た自分を照らし合わせていくと、更にもうひとまわり強くなれると思います。
基本的に自分のことも人のことも固定も否定もあまりせずに、その時その時で柔軟に対応した方がよいですね
結局は固定とか否定とかってやつは、ただの決め付けであって、次回からあまり考えずに相手に対応するための無責任なマニュアルでしかない、昨日の自分や他人と今日の自分や他人は必ずしも一緒ではないということ、つまり常に人のことも自分のことも考えて行動、いや、考動ですね、それが出来ることが強いということなのではないのでしょうか
なんつってね、偉そうに理屈をコキまくっちゃってすんません、スルーしちゃって全然かまいませんが参考になれば幸いです、俺もまだまだ弱いです、早く仙人レベルにならなければ
コメントありがとうございます!
返信削除鋭い指摘です…《弱い自分をさらけ出す問題》も、とっかかり中であります。
もともとええかっこしいな性格なので…
以前はその傾向が強すぎて
心配してくれる人になんてこと言っちまったんだ!
と、あとから平謝りなこともあったのですが。
最近、少しはかわいらしくなったんじゃないかと
自分では思っているんですけどね(笑)。
強く。豊かに。なりたいですね。