僕が初めてこの言い回しを目にしたのは、漫画版のナウシカでした。
本当はもう少し由緒ある格言だったんですね。
それにしても、的を得ているようで、全くの詭弁のように思います。
言葉なんて何でもそうですけど。
でもそれだけに去来する思念も多いもので。
同じように、よく感じる事。話をする以上、もっと密な関係になるにしても、それは話をしたその時には既に、精神を交感する事なので、疲れもするし、助かりもする。有り難くもあれば、迷惑でもあり得る。
会話でさえ、こう感じずにいられない。
別に他人を恐怖した覚えは一度もない。
けれど、大変な事だといつも感じている。
人見知りというのとは違うと思う。神聖ないとなみなのだという気持ちがある。
言葉を交わすという事は、こころのありようを見せるという事、それをお互いが、干渉し交感し影響し合いながら行うという事。
ひどく、人を選んでしまう。
きっとそれと同じだけ、遠巻きにされてきたのだと思う。
望むものを、手に入れる場があるのだと思う。
僕は強くそれを思っていただろうか。
それはひどく個人的なものだから、
でももう少しで、少なくとも今の自分の中にある世界の、骨組み位は、
消えてしまっても構わないので、存在は、否定できないのだから、今もこの先も過去も失えるように、
いつから自分を貶める癖がついたんだろう。それは安寧を、甘えを、自らに許す術なのに。
素直に理想を描けばいい。目が曇っているのなら、澄むようにまた感じる事から始めればいい。
0 件のコメント:
コメントを投稿