出来ない事は出来ないと、言い切るのはたやすくて、諦めてしまうのは、どんなに惜しいと自分で考えていたにしても、自らの意志で手放したその瞬間の痛みを越える事は、きっとそうない。
出来ないと言うくせにやめないから苦しいのだし、分からないと言うくせに分かろうとするから苦しい。
分かったと言ってしまえる人間と、分かるつもりのない人間だけは、少なくともその苦しみからは解放されているように、僕には見える。
思い遣りは、独善。僕があなたの全てを分かるなんて有り得ない。同じように、あなたが僕の全てを分かるなんて反吐が出る。
偽善だと、言いたければ仕方ない。言われて気持ちのいいものではないけれど、思ってしまうのを止める事は出来ないし、間違ってるなんて勿論言わない。
顔の見える相手には、出来るだけ誠意ある対応を。そうでない相手には、自分が何なのか出来るだけ伝える努力を。
僕が嘘をつくのと、僕が言う事を胡散臭いと感じるのははっきりと違う。
希望は死に至る病かも知れない。けれど絶望は即ち死を意味すると感じる。
だから少なくとも、懊悩とうまく付き合えるようになりたいと思う。
独善的生しか進むべき道を見いだせない以上、独善的生である事にだれよりも疑問符を突きつけ、謙虚に努力を続けていられるようになりたい。
ravenadoresalazrq.
azrqより四ツ目へ。
林
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