こんばんわ、ガンディです。久々に日記らしい日記を書いてます。
疲れていたかもしれません。
最近は仕事をしながら、よく考えますが、考えをまとめず、まとめられずに暮らしている。
それでいい(悪い)と思っている。
音楽はsunとか聴いています。
出社は11時なので、すいた地下鉄の中で、向かいの窓にすいすい飛んでいく白い小鳥のような光を見ながら、良いこと悪いことを考えています。
考えるということが正しいことなのか、正しくないことなのか、よくわからずに、自分を煙に巻いて、書くことから離れていました。
ぼくは、図工が大好きな子供でした。ただ無心に泥を捏ね、そこから自分の好きなように形を作り上げていくのが好きだったのです。
粘土には無限の可能性があり、ぼくにはどんな形でも作れるような気がしていました。
図工の時間、先生が「今日は恐竜を作りましょう」というと、ぼくはその先を聴かず、真っ先に粘土をこね始めていました。
そして先生が説明を終えるころには、すっかり骨格を作り上げ、ディテールの製作にとりかかっている、そういう子供でした。
これは果たして悪い癖かもしれません。
だってぼくは未だに人の説明を早とちりする癖があります。
先生は、ほとんど完成しかかったぼくの作品を見て言いました。
「あら、よく出来ていますね、だけど今日作るのはトリケラトプスですよ」
周囲を見回すと、ティラノサウルスを作っているのはぼくだけと、そういうわけです。
南北線のホームには巨大な塀壁があり、これが線路と我々のいる場所を明確に隔てている。
一枚のガラス板で、意識しなければどうということもないのですが、しかしこれが確かに人があちら側へ飛び込むのを防いでいた。
無意識ののトンネルの中を鋼鉄の箱にがたがた揺られながら、窓外に現れる白い小鳥のような光の残像に、ぼくはぼくを一瞬だけ見ることができるような気がする。
夜の海にボートで漕ぎ出たことがありますか。
私は海辺の小さな町に住んでいましたから、そういうこともあった。何を間違ったか、嵐の夜にやった。ときどきそういう気の狂ったことをやる。たぶん満月のせいだろう。あるいはいつもイヤなことから逃げてばかりいるせいだろう。んなもんどっかでバランスとるように出来てんだよ!
ボロい、桟橋ともいえない、コンクリートの陸地からつながれた板切れからオールで壁を小突くと、すぐに陸から離れた。そして「なるほど、これはもう戻らないな」と得心した。
考えるまもなく沖合いへぐんぐん流されていく。しかし穏やかだ。嵐なのに月はきれいだ。たたきつける雨はシャワーのように暖かかった。
しばらく行くと、少し離れた場所はときどき渦があるのに気づいた。これに引き込まれたら死ぬわけだ。夜の海は怖くて、これほど好きなものはない。ぼくは未だに夜、意味もなく隅田川を見に行くくらいなんだから。
渦から飛び散るしぶきで、、小船に乗っているぼくには、ほほに当たる冷たさしか知ることしかできなかった。足元には、深く混沌とした流れが、嵐のように渦巻いている。
それが知りたい。でも知ることができない。深く潜りたい。でも潜ったときには死んでいる。
だから地下鉄は似ていた。
全ての頭脳には境界線があった。
ほとばしるものだけが飛び越えてくることができる。
ただ飛び込むのは、死を意味している。
だから人間は禁止する。でもぼくには禁止がない。だからぼくの考えは死んでいる。
すべての人間が裸で歩き、全ての人間に対して身体を許して、殺されることも許して、愛されることも許したら、それがぼくの望む世界だなんて、いつもそんなこと考えて、勉強もしないで、嫌なことから逃げて、口ばっかりで、約束も守らないで、仕事もしないで、そのうち人をめちゃくちゃにしたりして、やがて布団から起きれなくなって、26になった。
誰を汚しても、誰に汚されても、寝てても、天国はやってこなかった。なるほど。さてじゃあどうする?
奇形の頭脳が形を作り出すとすれば、出来上がった粘土はいつだって奇形で、それが世界を変えるなんてことはありえないことだ。
作り出された思考は、君の話を聴くためのチューナーみたいなもので、君を洗脳するラジオじゃないのだった。
だとしたらぼくは未だに粘土のこね方を知らない。
君の話を聴かずにただ面白がってこねていただけだ。
できあがったやつが剣なら、面白がって君を刺す。人を刺せるくらいホンモノそっくりに作る才能だけはある。
さてじゃあどうする?
女の人ってどうしてあんなに贅沢がすきなんだろう。
子宮があるからかしら。おいしいご飯を食べさせて、お腹の中に眠る子のためにストレスない生活を送るのが、女の人の人生の目的なのかな。
そうしたら、いい曲かけたら100ぺん死んでもいいなんて考えてるぼくは、永遠に女の人に理解してもらえないだろうな。
人生の目的のはっきりしない男の子が、法律を作って、鉄道を走らせ、絵を描いて、戦争を始めて、愛を歌って、大きな塔を建てて、やがて神様を怒らせて、世界は四分五裂した。その神様も、ふらついてる男の子が作ったんだろう。
男というカルマから逃れられないなんて、言ってることがまるで女みたいだ。
だけどそんな考えすら、作られた粘土なんだから。まともにとる必要なんてない。
まともにとる必要もないものを、どうして作る必要があるんだろう。
しばらくの間、金のシールをつけられて、教室の端っこにかざられたぼくのティラノサウルスは、1週間もしないうちチリが積もり、誰かが蹴ったサッカーボールにあたってぺしゃんこになった。
あるいはそのティラノサウルスがこの世界を作っているとして、それにぼくも君も苦悩させられたり、感覚すら作られてしまっているのだとしたら、ぼくは自分のティラノサウルスで、誰かが作ったティラノサウルスにかぶりついてみるべきなのか?正気かい?だってどっちも粘土なんだぜ?
プシューとドアが開くたび、新鮮な朝の空気が閉じた世界に吹き込む。
とり立てて乗り込む人もいないまま、再び扉はしまっていく。
また自閉症になっていたんだ。
朝はぼくを開かせる。でも、日の光のない夜に、どうやって開けばいい?まだそれがよくわからない。
結局のところ、相手を傷つけたり、自分を傷つけたりする心配のない、呟き程度の言葉しか、怖くて書けなくなってしまっのだとしたら、それは悲しいことなのかすらよくわからない。
それともそれこそがあの日ぼくの頬にへばりついた飛沫なのだろうか。
愛なんて粘土を、こねていいものだろうか。