2010年8月18日水曜日

電波があわない

自分で決めたことなのに、決まりとなると途端に駄目なのです。

もう、ぼくは、アホなんじゃないかというくらい、続けられない人間のようであった。

この日記も、ぼくがみんなでやろうぜ!とか言いだしくせに、最近のぼくと来たら、口からエクトプラズム吐き出すように、消沈しきってキーボードを叩く始末だ。

どうやら、意識が無意識に沈み、思いつきが当たり前になる、これが駄目らしい。駄目、というより、眠くなるらしい。刺激が足りなくて脳が休むらしい。現にぼくは今、すごく眠い。

とか、なんとか、言い訳をしている。本当は、ただ単に書くのが嫌いなだけだ。
ぼくは自分の話をするより、人の話を聞く方が、興味がある。




話をするという作業は、自分と相手の周波数が、どうもかみ合わず、コミュニケーションができなくなったときに、相手に自分の周波数にあわせてもらうため、自分の電波を発信するということだと思っている。


ということは、こっちが率先して周りの周波数に合わせてしまえば済む気がする。


というようなことを考えてしまうモードだ。ここ最近は。






1年位前は、自分の周波数を無理やり押し通すことに凝ってて、復讐のうたとかAnarchist's Sunとかそうやって書かれたものだが、最近はふにゃふにゃしてばかりで、悲しんでばかりいる。




ぎんぎんかインポかしかないのだ、ぼくは。






詰まるに極端が問題だ。この世界で一番よくないものは、極端だと思う。
悲しみも怒りも同じくらい大事だし、まじめもふまじめも、どっちも大切なのだと思う。
よく出来てる割にテキトーな世界だし、みんな見てないようで見てる。




そんなに価値ある人間じゃないが、そんなに価値のない人間でもないというのは、イライラするね。
いっそ、神か奴隷にでもなれれば、ラクなのにね。
『君は生きてる価値がない』って誰か言ってくれないかしら。さもなきゃ『君がいなきゃ生きていけない』でもいい。
でも、それだって変わってしまうものね。




さしあたり今は無理そうだから、せめて泣きながら怒るいじめられっこみたいになりたい。ぼくは。


びしょ濡れのお道具箱持って「やめてよー」とか言いながら。



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