僕が今この世界に残しているものは、とてもとても少ない。そして価値は殆ど認められない。
僕の着ている服も、持ち物も、国籍も、僕が世界に見えるような形で所有しているほぼ全てのものは、僕自身とは無関係な場所で、無関係なヒトの手によって生み出されたもの。
どっちを向いても、僕の匂いはそこにない。僕の影も、そこにない。
それはあなたも、そう。だと思う。ただ、その事そのものにどれ位の価値を与えるかは、自由。
そこに目を向けるか向けないかも、そもそも自由。
けれどそれが、いつも隣にいる、虚無というもの。
それは、価値感が、結局切り離せない、という事、虚無に怯えるという事は、相対化した僕の存在に、価値を見出さないという事。
その価値は、僕ではない何かが生み出したもの。
だから僕にとって、僕の曲は僕の分身であり、そうは言っても音楽という形態をフォーマットとしていて、データ化され、0と1の配列で説明がつくものであっても、それは必然的に存在し続ける限りにおいて僕の見出した価値と僕ではない誰かが見出した巨大な価値の闘争を意味する。
いくつもの論理破綻、矛盾、ジレンマを抱え、人によっては滑稽に見えるであろう事を踏まえていても尚、僕の存在理由はここにある。
怖い話。けれど言葉が足りない。
狐と虚よりazrqへ。azrqより恒平とあなたたちへ。
林
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