2011年12月11日日曜日

呼吸して、とめて。

物語を。
生きているということは、物語を紡ぐことに他ならない。

少なくとも、僕にとっては。

人であることを、最期まで呪うだろうし、それはそのまま、人であることを最期まで感じ続けることだと思う。

それは恵まれたことかもしれない。

それはのたうち回るのに近い。

それは嘔吐のイメージ。

よくよく心に留めておくべきこと。

あなたが必要。

あなたが、ひつよう。

この寂莫。

azrq

2011年12月4日日曜日

そして

この人とリハ

悲鳴はドラムを募集しています。
興味のある方は是非

2011年11月6日日曜日

ボナンザ終了、そして

悲鳴@GOKsound企画"ボナンザ"

無事終了しました。

来て下さった方、有り難うございました。
楽しめてたら何よりです。

今回の出演者には感謝してもしきれない。素晴らしい演奏でした。
まめッこ

(((REBELREBELonREBELREBELS)))
壊れかけのテープレコーダーズ

それぞれが決してベストな条件でない中、それでも参加してくれたお陰で出来た事。本当に有り難いです。

ありがとうございました。


今回のライブを最後に、ドラムのカワセは悲鳴から抜けます。

追ってホームページなどで正式にお知らせしますが、略式に一応報告です。

もう見られないのなら行っていた、事前に知らされていれば、という思いの方、もしいらっしゃったら、申し訳ありません。

メンバーで話し合って、あくまで普通にやろう、特別な扱いにしたくないという意見で一致したため、こういう形になりました。

今後の悲鳴にご期待下さい。

SEはエイミー・マン。マグノリアのサントラ。

2011年10月30日日曜日

20111030_ende

出掛ける支度をしていた。
荷物をまとめていた。
家族でどこかへ行くはずだった。
ふと窓のカーテンを開ける。
出掛けるので、天気が気にならない事はないもの。

朝、遅くも早くもない朝。

なのに、

空が、金色。綺麗な。だけど見慣れない空。

雲がどんより出ている、筈。
そういう朝は、にびいろだと思う。

一瞬遅れて気がつく。

あれ、金色のあれは、雲間から零れた光だけじゃない。
投影されている。

文字が。

見覚えがない、文字。

大きな光が、金色をした光が、近づいてきて、光と窓を開けた僕との間にたちこめる雲には、一面に見たことのない、たぶん文字。
その雲の奥の奥から、這い寄るたくさんの影、影。


あ、終わった。
地球終わった。
人類終わった。


勘違いする余地も冗談にとる間もなく、意識が書き換えられる。


僕は家族のいる居間へ駆け寄る。
ごめん、もう駄目だ。地球終わった。

どうして?問うのも愚かしい。
とにかくおとなしくしていろ。

もうすぐ船が壁を突き抜けて、僕らの家は侵される。

それだけで済ませたい。
幸い荷物はまとめてある。妹にはなんだかすまないけど、シャワーを浴びる時間はなくなっちゃった。

確実に人間より格上の何かたちが、家畜を狩るような感覚で、小屋の鶏から朝卵をとっていくような気楽さで、こちらへ来る。

ほんの少し、相手の立場になるだけでいい。僕ら人間が、豚を屠るのに、その豚が毛繕いを済ませているか、親に、子供に、最期の別れを告げ終えたか、気にするだろうか。


だから、自覚してしまった。

ヒトとしての生を、終えたのだと。
実際どうなるとかじゃない。
葛藤はなかった。
恐怖もなかった。
ただ、認識が、書き換わった。

これからどうなるんだろう。

だけどこの感覚は、不思議と気持ちを軽くする。

少し、すまない気がする。
だけどこれから絶望することより、これまで背負ってきた絶望感から解放される浮遊感を、否定できない自分がいる。


そういう思いがないまぜなまま、目が醒める。


本当に予期しない、いい夢だった。マヤ歴はたしかに終わった。と感じる。


四ツ目

2011年10月29日土曜日

なに?

blgtzの曲とPVがよかった。新しいやつ。
イデオロギーって曲です。来月アルバムを出す彼らは、ぼちぼちメディア露出も増えて、来年1月にリリースツアー、2月はノベンバーズをOAに迎えてワンマン(原宿アストロホール)をやるようです。blgtzはなんだかんだで割りと長く知っているので、考える事が多かった。
しっかし、芯があると灯火は消えないもんだな。
さて、彼らになんて返事をしようか僕は。


kawase

2011年10月24日月曜日

怒る人

怒りをあらわにする人って
嫌いじゃない。
むしろそれができる人が好きです。

「怒るのにはエネルギーが要るからえらい」とか「相手を思ってこそ」云々…というきれいめのまとめじゃないですよ。


最近あまり怒る人を見かけないから
絶滅しないか心配だね。
てのは冗談としても。

怒ることすなわち暴力、みたいに思われがちな傾向はあると思う。これが嫌い

怒りはただの怒り。
それ単体で、正義でも悪でもない。
あ、ここです。ポイントは。

正しいこと言えるかはともかく
怒ったっていい。
怒鳴ってもいい。
その感情を、
表したり表されたりすることから
始まるものがある。


…っていう話をして
前に「あなた昔の番長ものマンガみたいだね」と言われたこと思い出したわ!


KOZUE

2011年10月16日日曜日

微熱のもたらす憂鬱の深度

信じるに易からざる不興、
天啓にとるも寒し
じっと忍ぶも寒し

ただ言葉を失う。
事物を見据え、考える

醒めていくよりも、壊して。


蘭のありようには、ただもう驚くばかりで。

そういう何かに、辿り着きたい。

azrq

2011年10月12日水曜日

日本ロックフェス

次のライブは10月20日(木)。
高円寺・無力無善寺にて


今年で7回目となる高円寺の秘祭
「日本ロックフェス」に出ます。

10/16(日)〜10/23(日)の8日間ぶっ通しイベント。
おそらく日本でいちばんスリリングなライブハウスで行われる、カオスな祭であります。

出演者とか詳細はこちらで。

◎日本ロックフェス公式ブログ
http://blog.goo.ne.jp/nihonrockfes/
各日1000円+1ドリンク
(全日見られる通し券\3000も予約受付中)
土日は15:30 OPEN&START
平日は18:30 OPEN&START


悲鳴は10/20(木)のトップです。
特攻(※もちろん"ぶっこみ"と読む)心が 騒いでならぬのです。


何が出るかな…

カオスという言葉もだいぶ手垢がついたけど、それでも日本ロックにはこの言葉を冠したくなる。


狂熱に似たものに、興味はない。
喜んで臓物を浴びにいくなんて茶番。

本物の感情を
××したいです。

私が欲しいのは恐怖と笑い。

KOZUE

2011年10月9日日曜日

続く。

手が、震えたり
呼吸が、浅くなったり
耳鳴りがしたり
なんだろうこれ

絶望が、人を変え、成長させる?

例えば溺れている人間が、
この危機を乗り越えた後の事など、ちらとでも考えると思うか?

馬鹿なこと。溺れている現実を打開する事で頭が一杯になるに決まってる。

絶望する瞬間には、何もない。
希望的観測、未来の展望、それらがないから、絶望という。

たまたま、過ぎ去る場合があるにすぎないのだ。

もしくは、絶望であったのは人間のおめでたい頭の中のみであったか。

呑まれれば、しぬ。そういうもの。

生きることがなんであるか、問い続けるのは楽じゃない。

答えが出ない事も、解っている。

要するに、それを忘れていられる程、満たされたがっているということ、
餓え、渇き、焦がれているということ。

じたばたするのも、時には。

苦しむのは嫌だ。
寂しいのは嫌だ。
是とならない自分が嫌だ。

小ささすら知ろうとしないこと

昏いということ

業にしては、本格的だと思わないか。

あたまがぐらぐらするのは勘弁してほしい。

このまま病気と認定されては敵わない。

いくつもの、感情を蔑ろにしてきて

今さらそれを持て余す。

笑止。

続く

虚、azrq

2011年10月3日月曜日

閉じる。金木犀の香

あそびごころを、知らない生は恥ずかしいものだと感じる。

とはいえそれは、遊んでいるのとは違うので、

あそびごころを知らないのとは違うと考える。

思うに、そう簡単ではない連中もいる、のだ。

海が好きな奴も、山が好きな奴も、わりと何でも好きな奴も、部屋で一人が好きな奴も、いるのだ。

結局この問いは繰り返される。なんとなく分かる。

そうしてこの次に辿る答えは、前や今回より幾分ましになっている。

自分がどこにいるかはあまり重要じゃない。

自分が何者なのかが重要なのだ。
azrq、四ツ目
備忘録としての。

2011年9月26日月曜日

目が据わる理由

頭が破裂する事はないのだから、
心臓がやぶれる事はないのだから、
できるだけ頭とこころを働かせようと思う。

言葉を紡ぐのさえ、おぼつかないし、いつも重心が定まらない感覚を覚えるけれど、

自分にとって必要なことだという確信は常にある。

ゴールは近い。そして距離は縮まらない。

2011年9月22日木曜日

先に言っとくけどSMの話じゃないんだぜ

なんで音楽聴くかって、
簡単に言っちゃえば
楽しいからだけども。
わくわくするからだけども。

稀に、美しすぎるとかカッコよすぎて
聴くのがしんどいくらいのがある。

聴いてる間じゅう往復ビンタくらわされっぱなしとか、
息を止めて水に潜ってるみたいな感じ。
聴きながら「痛い、痛い、もうやめて」って思うこともある。


…という精神状態をも含めて
「楽しい」と受け止められる
《感情》のすごさを思う。

いまさっき、久しぶりに
怖い夢見て起きてしまったのだ。
暗く恐ろしい夢。
こういう時は
明るく楽しい本を開いたりせずに
もっと怖くなる本でも読んだらいいんじゃないかな。

怖さをもって怖さを制す!


KOZUE

2011年9月17日土曜日

ブロウヤヘロフ

犬や猫は普段何を考えて生きてるんだろう。

鳥は何を感じて鳴いたり飛んでったりするんだろう。

虫はどこを目指して歩いたり走ったりするんだろう。

蜘蛛はどんなとこでどんなことを考えながら寝るんだろう。

虫に生はあるのだろうか。

虫は機械に似たようなものではないのか。

馬に生はあるのだろうか。

馬は機械に似たようなものではないのか。

肉牛に生はあるのか。
食われる生?
豚の食われるための生?
機械と考えた方が、無理がないように思う。


まだごく若い猫が、昨日車に轢かれて死んでいた。
僕が見た時は血が流れた跡がなくて、寝てるのかと思ったけど、よく見ると頭のかたちがすこしおかしかったので、もう事切れた後で、きっと工事現場の人か誰かが動かしておいたんだろう。
電柱のそば、人が踏みそうにない場所に。
工事がなかったら、轢かれずに済んだのだろうか。
まだ若いのに、不注意だったね。工事の音や光で、よく状況が飲み込めなかったのだろうか。
どこへ行くつもりだったのだろうか。


少し悲しいと思った。
少し禍々しいと思った。
ついてきたりしないように、手を合わせたりはしなかった。
だけど少し、ついてきてもいいんだよと思った。
心の中で手を合わせた。

死んだ猫は、止まった機械と同じではないか。

生きた猫は、動く機械と同じではないか。

人間は、機械と同じではないか。
僕は、機械ではないか。

呼吸や、食事や、交接は、仕組みではないか。

魂は、仮想された器官ではないか。
細胞は、機械ではないか。
癌は、機械ではないか。


幻聴が聴こえる。
ずっとピースって言ってる。

azrq

2011年9月5日月曜日

緊縛の愉悦の本質は現実を補完するファンタジーである事への共通認識があって初めて

お前がそれで、時間を忘れてくれるなら。

お前がそれで、いっときを永遠に感じるなら。

その感覚と瞬間を共有できるなら、

僕も同じだけ、時間を失おう。
価値観を歪めよう。
識をなげうとう。


醜い醜い醜い醜い醜い醜い精神を、忘れよう。

先送りにして責め苦はあとで。

ところが、ところで、雷に打たれて死ねよ、と思う。

そうだ雷に、打たれて死ねよ。

四ツ目、azrq

2011年8月30日火曜日

戦い方を知る

予告通り甲子園に乗り込み、
2日で5試合ばっちり観戦してきました。

一番おもしろかったのは3回戦、
習志野VS金沢の試合。
習志野の…甲子園では初登板だった2年生、在原くんの投球に魅せられましたね。
対する金沢のエースはプロ注目の、
150キロ出しちゃう本格派。

在原くんのストレートは130キロ台だけど、100キロ程度のスローカーブとの
絶妙の配球で打ちとってみせるのが小気味よい。
さらに、ときどきスピード計測できないくらいおっそーい、山なりの球も効くんだよね。みんな、おもしろいくらい見送っちゃうのだ!

まさに相手を翻弄する組み立てで、
早いリズムでぽんぽん放ってくる。
バッターが「ちょっと待って」とボックスを外す場面も多々。

ところがランナーを出したり
カウントが悪くなると
見てるだけの私でさえ焦れ焦れするくらい、間を長くとってくる。
主審が何度も、ときにかなり激しい口調で
「早く投げなさい」と急かしてた。
高校野球ではあまりない光景。
しまいにゃ塁審まで「さあ、いこーか」なんてやんわり促したりしてね。

彼はその調子で投げ勝ってしまうのですが。

自分のペースをつくって
力を出せる環境をつくる戦い方ってものを
見せてもらった試合でした。

あの図太さは尊敬に値する。

素直にまっすぐいくばかりが真っ向勝負じゃない。

KOZUE

2011年8月27日土曜日

11月5日に、吉祥寺GOKsoundsで企画やります。

詳細は未定。
一緒にやりたい方は知らせて下さい。

先日発売された、tokyo graffitiという雑誌の企画に、悲鳴が掲載されました。

YOUTUBEで動画も見られるようです。
音質が完全に耳レイプです。

ちゃんと業務連絡できた。

林。

2011年8月22日月曜日

全肯定バニシュ

一体誰に、誰のために、と問われれば、

それはやはり自分のためにとしか、言いようがないのでした。

それよりも浅い、口上に過ぎない、いかにも耳に、徳義心に心地よいせりふもやはりたくさん浮かびはするし、それも強いて嘘なのに、と思い込もうとするつもりもないのですが、

最後にはやはり自分のために、としか言いようがないのでした。

あなたや、あなたは、違いますか。

なんのことを、そんなこと私の知るところではあり得ない。
その代わり、きっとあなたにもあなたにも、思い当たるふしがあり、それのことをさしているのには違いない。


実に半年振りの、浮遊感。


世界から距離をとることは、意外にも窮屈ではなかった。

けれども満足をくゆらせる魂には、足がない。

空虚な肯定はしない。
ただ、見つめ、感じ、考え、形にしようと試みる。
その選択のすべてに、誤りはないと、すべてが正しい道であると。
もし問うてくれたなら、そう答えると決まっている。

止まる歩みは存在しない。
総ては無駄でいられない。

悲鳴はしばらく人前に出ませんが、次やる時の音を聞けば、きっとそれは必要なことだったと、感じられるようになろうとしている。
四ツ目

2011年8月18日木曜日

部屋で映画dvdを見ようとした時。
始めにある、会社のずーんてやつ(例えば波が岩に当たってざっぱーみたいなやつ)をすっとばそうと思って、スキップボタンを押した。その時、うちのテレビ画面には『その操作は、今禁止されています』と出た。『今は操作できません』ではなくて。『その』と言われると、少しどきっとした。今、まさに自分がやった動作を指されたから。しかも『禁止されています(俺もさ、やらしてやりたいよ。でもほら、な、だめ…なんだよ)』という感じがまた。
テレビと自分の間に流れる空気がなんとも言えなかった。

皆さんはコミュニケーションてなんだと思いますか。僕は錯覚できた瞬間だと今は思います。僕はあなたの事なんて知らないし、分からない。でも勿論、わかりたいと思う人もいます。違いを認め合いながら、わかり合えないと分かっていながら、それでも伝え合う。その努力の途中、時々『あ、今つながったかもしれない』とか『伝わったかもしれない』と感じた時、それをコミュニケーションというのかな。

ということで。テレビと、一方通行の思いを共有した気でいる切ない片想いの話でした。

kawase.

2011年8月13日土曜日

3年ぶり12回目

3年ぶりに夏休み作って
来週、甲子園に乗り込む予定。

ようやく人並みに日焼け対策するようになったものの
試合に熱中してくるといつのまにか
腕にかけてたストールは落ち
半袖を肩までまくっちゃってる始末。

たぶん少し焦げてきます。


一球一球、配球を考えながら見るのが好きです。

一球一球に勝負と物語があって、
それを読む楽しみがあるから
どんな試合もおもしろい。

KOZUE

2011年8月7日日曜日

私が私である事を知る

悲鳴夏休み企画が無事終了いたしました。
疲れましたが、とても充実した時間でした。

桜木町の退廃が好ましいと感じたのは、自分としては発見でした。

動物園に行くのも随分久し振りの事で、生き物を間近に見るとてもシンプルなわくわくする気持ちを楽しませて頂きました。

同時に、関係のない部分で、私という人間が刻々変化していくのを感じます。

言葉にあらわすのはむつかしいのですが、知ること、予想することの意味を教えられた思いです。

個人的にはまだ少しどたばたする日々が続きますが、私という人間が存在する重みが、少し認めうるものだと思い始めた次第です。

ヒトのありようは和音。
構成も、複雑さも、響きも、
届かない事に絶望するのは、まだ少し早い。

四ツ目、azrq

2011年8月1日月曜日

あさってライブです

「まけないで、とも喰い」
8月3日(水)@東高円寺UFOCLUB
OP 19:15/ ST 20:00 ¥1500(+1drink)
出演
otori
core of bells
worst taste
悲鳴


自分で企画し誰よりも楽しむ…
私が知る限りもっともキャラ立ちの優れたライブ企画者(笑)、いしいもちこちゃんの企画です。
おにぎりとかおやつも出るらしい!

20時スタートってのもいいよねー。


この日は買ったばっかの、
鷲だか鷹だかのTシャツを着ようかな。
これを機に鷲と鷹の見分け方を覚えることにしよう。


KOZUE

そは人間内側をずっと見つめる

あなたが闇を見つめる時、闇も等しくあなたを見つめるとかなんとか言ったのは誰だか分からないのですが、
この言葉に言及するのも複数回目ですが、

闇とはいかにも抽象で、つまりなんの事なんでしょうか。タブーの事でしょうか。

僕個人としては、内的情動はすべて闇と同じ意味にとらえてしまいます。

あなたが感じる事は僕には闇です。

僕の心臓のからくりは闇です。

脳科学はまだあてにならないと感じます。
ヒトが繰る言葉で繋がりや仕組みを説明されても、それらの言葉はいつもあまりに脆いから。
それにそもそも茂木某は不粋極まりないからです。

語るに落ちる人物評はやめにして、
僕のここで言う闇を見つめる時、闇は僕を見つめてはくれないと感じます。

不安や怖気の事を闇に置き換えても、しっくりこない。

そこにある事は、知っているし感じてもいる。
けど、繋がれない。という感覚が拭えない。
こういうもののような気がする。

きっと時間が経つにつれて感じていた違和感は、このあたりの認識の違いから来ている気がします。
少し整理がついたかもしれない。

調子、というものはどうしてもあって、その表出の仕方が一人ずつ違うから、安心できる奴もそうでない奴も、
扱いやすい奴もそうでない奴もいる。

一時的な調子も、長い期間に及ぶ調子もあるといえばある。

原因と結果は同じ事象の内的作用と外的作用の差でしかないものだから、
入れ替わり立ち替わりする。

見て、考えて、行動する。

変化しうる事を、受け入れる。

そは人間、うつろい易いもの。

四ツ目、azrq

2011年7月23日土曜日

ニンゲンノニオイ

人間の関わる様々の事象に、人間の臭いを感じます。

疑う事の恩恵も、喪失も、
信じる事の恩恵も、喪失も。

完全に一致した時間軸の中に発現して、

純粋に、なんて事はあり得ないのだと感じるばかりです。

そうして誓願は、取り消される。
たくさんのヒトがそうであるように、自分のあるべき場所で、なすべきことを。

そこに意識的であるのは、限りない不幸だと思うし、限りない幸福かも知れない。

僕は僕を救う存在に、まっすぐに向き合ってこなかったのだと、強く思う。

azrq

2011年7月17日日曜日

良好なくじ運と裏腹の嘔吐

所用により神戸から。

歩き回った距離は少しですが、なんだか福岡を思い出します。

天神の傍にマリノアがあるみたいな感じとか。

いろんな感覚が、悪くないと思いました。

暇をもて余した結果2冊本を読み終えたのはショックです。そもそも、もっと時間掛けるべきです。
1週間とか。本に悪い気がした。

魂にも、出来不出来があって、感性にも、差があって、感じ方が違う、というより、その深度が違う、と直感するのは、とても恐ろしい。

ともあれ、充分に充実した休暇であった事は疑う余地がありません。

海辺には思い出がたくさん。
自動で呼び出される感覚。
いろんなとこに、いろんなものをおきっぱなしですね。

四ツ目

2011年7月11日月曜日

アレカシ

ライブ所感

複数の方から今までで一番よかったと言って頂けました。
有り難い事です。

個人的には、身体が自由に動かせた感覚が初めてしました。
とても気持ちよかったです。

あと、アンプが頑張ってくれました。

毎回リハで、アンプと相談しながらその日の音を決めるので、アンプは生き物のような気がしています。

同じJCでも具合がかなり違うし、特に僕はアンプに負担掛かる音を出してる方のような気がするので結構気を遣います。

あと、心のなかで話しかけてます。

でもこういう人多いと思います。


どんな人間でも、気持ちの浮き沈みはあるし、それでも誰かを勇気づけようとして、何かの形に残してくれる人がいる。
それだけは忘れたくない。
その恩も、いつかは返したい。

今回は特に、王貞治選手、ジャッキー・チェンに感謝と敬意を込めて。

写真はクウチュウ戦小林コアラ。次のライブ以降活動休止だそうです。

林でしたおやすみなさい。

先は長い、深い。言葉にならない位。

2011年7月7日木曜日

日曜日には

7/10 (日) 
at 秋葉原CLUB GOODMAN
"ALTERNATIVE ELEKI-TOWN"
OPEN17:30/START18:00
adv¥1800/door¥2000 +1DRINK¥500

Kito-mizukumi Rouber
VAU!
worst taste
股下89
SABTERRANEANSS(ex:six o'minus)
悲鳴


悲鳴はトップで18時からやります!

自分で自分の誕生日を最高潮に祝う構えです。

KOZUE

2011年7月2日土曜日

明日のすべてを諦められる

金曜日はクウチュウ戦由美子企画を観に新宿モーションへ行って参りました。

例のKが見られてよかったです。
ヒトとして抑えがたいものをなんとかしようとする姿勢が、見ていて心強いと感じます。

どうやらクリスマスイブに何かやらかすみたいです。

クウチュウ戦は今回は惜しくも跳びきれてなかったけど、やっぱり力のある連中です。
もともと大好きなのを差し引いても楽しかった。満足しました。


他者の事はそれとして、7/10に秋葉原クラブグッドマンでライブやります。

世間話は苦手。

言葉がついてきてくれない。

2011年6月25日土曜日

インテリという名のくまのぬいぐるみ

実生活においてモノにこころを寄せる事が多い。

置物、ぬいぐるみ。

ヒトのように会話は成立しないけれど、会話なんて成立しなくて構わない。

モノにこころは通わない。

その方が都合がいい。

ヒトの精神は、いつも勝手に僕の神経をなぜて通り過ぎていく。

力場が生まれる。
そこにあるだけで。
会話がなくても、そこにいるだけで。

それを知覚する苦痛のない、モノとのやりとり。

全部厭、という事ではなくて、そういう時間はありがたい、と思う。

おんもは刺激が強うございます。

楽しめない性格は枷に違いない。
だからこそ必死になれる事もあるのではないか。


四ツ目

2011年6月22日水曜日

真夏日だって!

暑いのは好きです。
夏はあれができるとかこれが楽しいとか、夏を楽しむ方法云々…はちょっと横に置いといても、
ただ暑い、ってだけで好きです。


今日は夏至でした。
これから夏本番に入っていくのに
今日を境にどんどん日は短くなっていくなんて
毎年不思議な気持ちになる日です。

KOZUE

2011年6月19日日曜日

音の話ってさ

今回はバンドとかやってない人には分かりにくい話かも知れません。すみません。
音の話ってよく見かけませんか。

ミクシとかどこそこの掲示板とか。

殊顔の見えないとこで見かける印象。

位相の事が分かんなくて調べてたけど無理でした。ちんぷんかんぷん。

けどこんな僕でもミックスやるんですよ。悲鳴の音は基本僕が監修します。

そろそろ出る2月26日の企画の記念盤的なものでは、クウチュウ戦の音も僕がミックスしました。

理論の話は分からないから、本当に感覚だけでやります。
プロの方々には鼻で笑われても仕方のないクオリティに違いない。
でも僕プロじゃないし、今はそういう知識、多分要らない。

脱線しましたが、何が言いたいかっていうと、
音の話をする時は、正しい日本語を使うこと、謙虚な態度で伝える努力をすること
この二つをまず踏まえないといけないと思うって事です。

音キチに特に多いですが、自分の耳と感覚を大切にするあまり、そうでない素人、というか大多数の普通の耳を持ってる普通の人を、あまりに下に見る態度で接する感じがするのです。

ひけらかす為に得た知識じゃなかった筈だろう、そんなことにしか使えないのならもう捨ててしまえよ、と思ってしまいます。

だってそれじゃ分かり合えない。

音の話だけでなく、コミュニケーションってそういう側面を少なからず持ってると思います。

傷つけるための言葉に耳を傾けてくれる人なんていない。

音って目に見えないから、相手とどこまで共通理解を持ててるのか、すごく分かりにくいので、それだけに相手がどういう人間かも見えてしまう気がします。

PAって大変。

ですからどなたか今度僕に位相の事を優しく教えて下さい。

2011年6月14日火曜日

ご機嫌いかが?

機嫌よく。
時として度をこして機嫌よくしているためか、
「躁病じゃないの」などと冗談で言われることがありますが。

ご存知のように本物のソウとはウツとセットになってるもので。そりゃ厄介なことでありましょうが…。

北杜夫という作家がいます。
本物の躁鬱です。
「どくとるマンボウ昆虫記」とか「どくとるマンボウ航海記」などのエッセイが一番有名なのかな。
「夜と霧の隅で」「楡家の人々」など純文学もものしてますが。
ユーモア文学的な作品が、めっちゃおもしろいんです。
中でもこの人が躁病期に書きとばしたと思われる作品の、異様なほとばしりが好き。
「父っちゃんは大変人」とかね。

困ったな。書いておいてなんだけど、堂々と北杜夫文学の代表みたいに推薦するような本じゃないんですけどねぇ。

いいオッサンが急に独立国家つくるとか言い出して日本にいながら独立宣言してその国の代表としてオリンピックに出ーる、と無理矢理出場してオリンピック会場のプールで溺れる…とか。ほんと、しょーもないんだけど。

思いつきでぐいぐい行く推進力にひかれます!


夏を待つ

KOZUE

2011年6月6日月曜日

涅槃に入る

ライブ終わりました。
ご覧頂いた方、ありがとうございました。

いいライブをするために、さんしのもり公園で4人でうまとびをしました。

こうかはばつぐんだったといえます。

手のひらのあたたかさをたもつのは、意外ととてもむつかしい。

個人的に
5日のベストアクトはアニマ
6日は乳

次のライブは7/10秋葉原クラブグッドマンにて。

それまでに何曲仕上げられるかな。

2011年5月29日日曜日

夕方に起きるスローモーション

24日のライブを見ていただいた方、ありがとうございました。

個人的には、ようやく本調子に戻った感がありました。
どうやればいいか、もう忘れずにいたい。

雨。

6月は5、6がライブです。
下北沢スリーと、高円寺UFOクラブで。


8月3日にともぐい企画にまた出させてもらえる事になりました。先ですが是非。

スクリアビンピアノ協奏曲嬰へ短調作品20

2011年5月23日月曜日

正確に、あしたです

おっとー。きょうは終わってあしたにくいこんでる!
きのうはおとといになった。
東は南、西は北。

私はいつも、時間と方角がよくわかりません。


5月24日(火) 新宿URGA
"TOKYO SWING vol.14"
OPEN 18:00 / START 18:30
前売当日共に1600円(+1D)
【出演】
オワリズム
股下89
ギター大学
HOMMヨ
悲鳴

正確に、明日の夜、決行。
まっすぐ来てください。


KOZUE

2011年5月21日土曜日

フィーヨーハービー

20日ライブでした。
来て頂いた方、有り難う御座いました。

24日もライブです。
お待ちしてます。


すごく間違った事ですが、

キングクリムゾンのDVDを観て、演奏の所々で間違う彼らを見て、なにやら勇気づけられました。

同じ地平でものを云うのはおこがましいですが、
いや、やっぱりブリューはアイドルです。

フリップ大先生も大いに助けられていた事でしょう。

理性も、自由も、拘束も、破綻も、やりよう次第で楽しめる。

四ツ目

2011年5月16日月曜日

22:45 高円寺で

閉店間際の古本屋をのぞいたらいきなり当たりが出た!

『もっと鋭く、もっと遠くへ。』王貞治
王さん関連の書籍はかなり持ってるけどこんなの初めて見た!
あとで調べて、これはペプシコーラが昭和53年にプレゼントの賞品として作った非売品だとわかった。

野球を志す少年に向けて、バッティング技術と野球に取り組む上での心構えがていねいに、まっすぐな言葉で書かれていて。
野球に限らず、だれにも通ずる言葉に満ちている。


バットの音を聞こう。
目で打つ。
気で打つ。
素振りは毎日、欠かさずに。
体は小さくても、ホームランは打てる。 僕には、王流。キミにはキミ流の打法がある。
燃やせ、ライバル意識。
チームメイトへの思いやり。
攻撃精神。
素質をいいものにのばす、努力。
自分に負けた。今度は勝つ。
…以上は、ページごとの見出しの一部。

どれもシンプルな言葉だけど、見出しだけ見てもいろいろ考えをめぐらさずにいられない。

王さん!

KOZUE

2011年5月15日日曜日

悲哀への中毒、ので終わる文章

徒に見たり感じたりすることが危険な人もいると思う。

そうでない人も勿論たくさんいると思う。

どうして、そんなに悲しいことにばかり目を向けて、そこから動こうとしないの。

そうしていたいの、それも分からないの。

何をなすべきか分からないの、生きているべきかも、分からないの。

それは、必要なことなの。

例えば分かれば、動けるの。それともそれでも動かないの。

それとも分からないと分かっているから、そこでうずくまっているの。

私になにができるの。あなたはなにをしているの。
なにがあなたを生かしているの。
この問いは見当はずれなの。

確かなものをなにかひとつでも掴んでいるの、それはあなたにとっても私にとっても同じ意味と大切さを持つものなの。

差し伸べる手、差し伸べられる手、それをどうしたらよかったの。

azrq

2011年5月8日日曜日

造物主死すべし

4時間に及ぶ悲鳴大会議が終了しました。

決まった事と言えば、

音源作ろうぜ

俺たち頑張ろうぜ

という事くらいでしょうか。


たぶん、滑稽かも知れません。
僕もそう思います。

不器用な人間が4人集まって一所懸命何かをやろうとする図が、滑稽でなくて何なのか、という事を確信してしまったので、恥ずかしさという気は起こりません。

5月は、20日に秋葉原クラブグッドマンで
24日に新宿ウルガで

の2本ライブやらしてもらいます。
新曲披露します。
是非見に来て下さい。

呼吸、という事の意義を、何となく理解できた気がします。

言葉は残酷。

2011年5月3日火曜日

観る者を楽しませる

レンギョウ
ホトケノザ
山吹
時計草
マリーゴールド!

黄バラ
ガーベラ
アネモネ
雲間草
三色すみれ!

KOZUE

2011年5月1日日曜日

灰色の

おさない心は誰に構う事もなく、

悲しい時は声を上げて泣く。

大きくなった心は、誰に構うわけでもなうのに、そこに蓋をする。

それは、孤独を知ること。

どうして、すべての人間は年を重ねるに従って孤独を受け入れていくのだったろうかと、ふと思ってしまう。

結局孤独でいるのが堪えがたいのに、だ。

ここ最近なんだか的が定まらない。実生活に支障をきたすレベル。

王さまの耳はロバの耳。

よるべのない心臓たち

王さまの耳はロバの耳。

目にしても耳にしても空しい

四ツ目、以外

2011年4月25日月曜日

朝ご飯を制する者は一日を制す

目が覚めて、すくっと起きるという感じにはいかなかったけども
寝る前から翌日の朝ご飯を楽しみにしていた私としましては
おいしい朝ご飯を食べるということを頼りに
できる限りにすくっと起きて、みせる。
そしたら、ひらめいた。
「いいこと、かんがーえた!」

外を見たら、なんて美しい晴天だ。
「生きててよかった!」と
口に出して言ってしまった、今朝。

世界は輝いていて、まるで健全に見えるじゃないか!

長ねぎとあぶらげの味噌汁を作り、
大根に塩昆布をまぶして浅漬けのようなものをこさえ、
それからハムエッグを(これが即ち「いいこと」)焼いて。

どうだ、この完璧な朝ご飯はっっっ!!!!!!!!

ああ、裏の庭では松ぼっくりが、順調に育っている。

2011年4月21日木曜日

咲く

わだかまる時は、
亡念のザムド23話を見ます。

どうしようもない。時。

言葉が刺さる。


少しだけ待って、ください

わかっています、こころがあるから、いたいことも

いたいから、それがわかるから、

あなたをすきでいられることも、

くるしいから、それがわかるから、

うれしいこともわかるのだと、

みんなわかっています。

だけどもうすこしまってください。

四ツ目

2011年4月17日日曜日

月影は何も知らせない

それは弧を描くように、
それは円を描くように、

それはオシロで見える波のように。

感受性も、命のやりとりも、それぞれがそれぞれに抱える波形の中で、
それぞれを取り囲む波形の中で、
辛うじて繋がり、結びつくもの。
自然と起こるものもあれば、奮い立たせなければ起こらないものもある。

嘆息を禁じ得ない、が、それは絶望とは遠い。

脇目も振らずにもがき苦しめる事にこそ、驚嘆に価する奇跡があると、なぜ思えないのか。


雪合戦のようなもの。

結晶は寄せ集められ、固められ、あなたに投げつけられ、砕ける。

四ツ目、azrq

2011年4月9日土曜日

太陽はヒトに気がつかない、月は私に気がつかない、あなたは私を知らない。

ダミアヌス、何て君は巷にあふれかえっている事か。

よしなしごと、誰とも目を合わせないのに、
周囲に丁度届くくらいの声量を保ちながら、
何事か、ぼやかして、
話題を投げて、着地させないで、
とにかく、呟き続ける。

私は此処に居ります、と。

僕に聞き取れたのはそれだけ。
きっと伝えたい事すら、何なのか分からないでいる。

電車の中にいたおじさん。
胡座をかいていたおじさん。

泣く男、の、最後の1ページが思い出される。
どれ程多くの魂が、救いを求めずにいられないでいるだろう。

存在を歪めずにいる事は、並大抵ではないと思う。

けれど存在を歪めてしまったら、その先その魂は、一体誰のものと言えるのだろう。

恐怖の先行する脳は、考える事を圧迫する。

希望の先行する脳は、考える事を強制する。

心臓をかっ捌いて、その血が鮮やかに真っ赤であれば、どんなにか安心できるか知れないのに、
大抵いつも、真っ黒な思考と隣り合いに、この身に流れる血が赤か黒かさえ、確かめる術を持たない。

ダミアヌス、何事か訴え続ける中年、ネットに何事か綴る私やあなた。


15日、新宿LOFTにてライブです。

azrq、四ツ目

急遽決定!新宿loft





新宿ロフトでは、震災の被害は長期的になると考え、今後の公演の売上の一部を、可能な限り義援金として寄付していきたいと考えているそうです。 

そこで、今回のイベントはチャリティーイベントではなく、ライブハウスに活気を取り戻そう!という趣旨の元、ロフトプロジェクトの山口さんが起案し、それに呼応したミュージシャンたちによって、急遽決定したイベントです。 

その名もGet Up From Underground.新宿歌舞伎町の地下2階から、東京のライブハウスも息を吹き返していきましょう。 

ご予約は、お気軽にhemay.g@gmail.comまで。 

2011年4月4日月曜日

RAGAN

視力がいいのが自慢です。

眠るぎりぎりまで本を握りしめているという生活を
小学1年生頃からやっていて、
しかも日頃パソコンに向かう時間も多いのですが、
不思議と目が悪くならない。

毎年やってる人間ドックの視力検査でも
いちばんちっこいやつまで見えてしまうのです。

ときどき、ライブ中にお客さんの顔が見たくなります。

たいてい客席暗いけど、
けっこう見えるんですよ(私の視力をもってすれば!)。

どういう表情か確認したい、とかじゃなく。
もう少しシンプルに
どんな人がいるのかな、とか。
あなたのところまで届きたいんです、という気持ちです。

2011年4月3日日曜日

4/2所感

高円寺ufoclubにてライブやらせて頂きました。
the morningsやZ-z言語「ウ」なんかと。

とてもあたたかい企画でした。主催の石井さんの人となりの為せる事だと思います。

古い友人に会えたのは嬉しい事でした。

誉めて頂けたのは本当によかったです。ありがたいです。

精進せんといかんです。

来週金曜日は新宿MOTIONで、
再来週金曜日は新宿LOFTで、

また演奏する機会を頂きました。
せないかん事は多い。
足りない足りない。


先日のイベント、実録処女ゲバゲバの一回目の音源や映像も動いています。配布なり販売なりする折は、是非。

味気ないですが、このへんで。

2011年3月27日日曜日

あなたの繰る言葉が即ち言葉によるあなたである

欲しいものが明確であればある程、不遇を自覚せざるを得ないので、不幸です。

欲しいものが判然としないなら、明確に自己の存在を定義できない事に怯えなければならず、不幸です。

こう言ってしまうと、大体ある程度誰しも不幸のような気がする。
勿論、大体ある程度誰しも不幸なんだと思う。

最終的に行き着く答えは、欠伸が出る程真新しさに欠け、自分でも呆れる。

価値観は違って当然で、数の理論に基づいてそれぞれにヒエラルキーがあてはめられるのも当然。

それはそれでも決して受け入れる事ができない。

最後の最後まで、自らがよしとする何かを求めるのをやめてはいけないし、最後の最後には、常に折れずに自らの核を為していなければならない。

疑う事も理解しようとする事も、そこへ行き着く。

azrq

2011年3月20日日曜日

【告知】明日の悲鳴×paradise2マン企画について【キャンセルのお知らせ】





【東日本大震災の影響による、悲鳴出演キャンセルのお知らせ】 










明日の渋谷O-nestでの、悲鳴×paradiseの2マン企画ですが、 


諸般の事情により、悲鳴はキャンセルとなりました。 






楽しみにしていてくださった皆様、本当に申し訳ありません。 






悲鳴、paradise、ネストの3者で、地震の影響、 


情勢を見ながらギリギリまで話し合って来ましたが、 


最終的な判断として、悲鳴はキャンセルさせていただく形になりました。 








paradiseは、アコースティックセットという形になるかもしれませんが、 


出演する見込みです。 








悲鳴、paradiseともに大変残念に思っておりますが、 


必ず別の機会に、別の形で、イベントを行いたいと思っておりますので、 




その際には何卒よろしくお願いいたします。 












最後にもう一度、楽しみにしていてくださったみなさん、 


本当に申し訳ありませんでした。 














今後も悲鳴を、何卒よろしくおねがいいたします。 














2011/03/20 悲鳴 一同

2011年3月12日土曜日

地震













東北地方在住、およびすべての被災者みなさまの、一刻も早い救助・回復を、心よりお祈りしております。 




現在、家に帰れず御苑前の事務所にいます。 




地震が起こった時は一人でした。 

うちの事務所は8階なので、結構揺れました。 



最初はPCや複合機の保護を考え、手で押さえて警戒していたのですが、 

途中、棚から使ってないPCが落ちてきたのをみて、あ、これは無理かもと思い、 

身の安全を第一に考え、机の下に隠れました。 



次の瞬間、社長のPCが床に落ちて破壊されました。 

あんまり耐震構造じゃなさそうだし、普通にちょっと死ぬかもと思いました。 




そのあと揺れが引くまですごい冷静に対応してましたが、終わった後気づいたら手が震えていた。 

最中は全然気づかなかった。 




で、テレビもなかったので、速攻でツイッターと2ちゃんねるをつけました。 

2ちゃんねるでは、東北が震源地との情報があり、それぞれが自分の在住地域と、安否を書き込んでいませんでした。 


東北の人からの書き込みは、ひとつもありませんでした。 





で、とにかく立っているPCを全部横に倒し、目の前の公園に避難。 

TOTOの社員さんが大量に集まっていました。 




この時にはだいぶ余裕があって、綺麗なOLさんが制服姿でぼーっとしているのを見て、この地震でドキドキしているのを、ぼくへの恋愛感情と取り違えさせることはできないかとか考えていましたが、不謹慎なのでやめました。 




おにぎり喰いながら様子を見ていると、TOTOのビルから、部長とか専務とかとにかくえらいっぽい人が出てきて、帰るように指示していたようでした。 


ぼくも仕事があるので、事務所に戻りました。 





USTREAMをつけると、テレビの再配信で、ライトのついた車が津波にのみこまれていました。 

ようやく大変な事態になっていることに気が付きました。 




それから仮眠をとったり、ウェブ情報を見たりしながら現在に至ります。 




写真はうちの社長が、それぞれ地震発生時と、一通りおさまった後の空の様子を写したものです。 

たかだか30分で、空模様がこんなに変わりました。 

やっぱり、雲といえど地球の一部で、大地からのエネルギー(どんな?)を、受け取って反応しているのか。 






どうやら、史上最大規模の地震のようです。 

ネット上では、善意の人の呟きが、ずっと続いています。 

すごくいいことだと思います。 




でも、なぜか、なんだか自分でもさっぱりわからないのですが、居心地が悪いです。 









昨晩午後5時~8時あたりに、ツイッターでよく見かけたRTに以下のようなものがありました。 




【[拡散]これから夜になるとき 阪神大震災で最後に最大に悲惨に襲った災害 は、「治安悪化」による「人災」です 大切な人を守ってください 一人でいる人は、最寄りの知り合いと小さく ても良いのでコミュニティを作りましょう・避難した女性の方 絶対に一人で公衆トイレに行かないで”】 






本当かよ。と思いました。 

そんな話は聞いたこともない。 


でも、もしかしたらそういうこともあったのかもしれないと思って、google先生に尋ねました。 


すぐにこんなソースが出てきました。 


『阪神淡路大震災の混乱に乗じた強姦はあったのかしらという話』 
http://d.hatena.ne.jp/nankin/20070217/p1 







もちろん、最悪の事態に備えることは重要なことです。 

ツイートした人も善意でやっています。 

何より、こういうツイートして注意を喚起する人に、ぼくは個人的に好感を持っています。 






ただ、これを見たとき、なんだか変な気持ちになったのです。 

それ自体は全く問題じゃないのだけれど、なんだか… 









繰り返すようですが、ネット上には、善意が溢れています。 
それこそバーゲンセールのように。 





「お年寄りに歌を歌ってあげて」 



「外国人がいたら輪に入れてあげて」 



「子供にはトイレに行きたいか聞いてあげて」 









それは確かにそうかもしれません。 


被災地で、家族の安否も確認できない状況で、まだ震度6レベルの余震(それ本当に余震か?)が続く中で、原発非常事態宣言が出される中で、津波で家が消滅した中で、テンパってたら、そんな大切なことも忘れてしまっているかもしれません。 








「電力が足りなくなるからお店は営業しないで」 



「営業しないでって言ってるでしょ?被災者の気持ちわかってるの?」 



「みんな我慢してるんだよ。それなのになんで音楽なんてするの」 



「あなたのやってることは間接的な人殺しだよ」 









私たちは善人でそして間違ってない側にいる 






「報道ヘリはどうして助けないの!?見てるだけなの?」 



「日本人は文化的に感情を抑制する力に優れている(CNN)…日本人であることを誇りに思う」 



「ヘッドライトがついた車が…津波に…飲み込まれていく…」 



「感動した。災害でバラバラだったみんなの気持ちがひとつにつながった」 







被災者は沈黙する。ぼくはツイッターで、母さんが死んでしまったとか、家がなくなったという本人の書き込みを、まだひとつもみていない。(この先出てくるかもしれない) 





善意が、絶望的なほどの災害の前で、茶番劇か何かに見えてくる。それでも、こんなところで立ち止まっている自分より、善意の人の方が、100万倍もマシかもしれない。 









それでもぼくはやっぱり、善意の人にはなれそうもあれません。 

家に帰ったら、ギターを弾いて曲を書きます。日曜は普通に過ごして、月曜からまた満員電車にゆられます。 

節電はする。でも、それ以上はしない。何かしたいと思うことがあれば、するかもしれない。 



被災地にいてもいなくても 







医師は医療を 


自衛隊は救助を 


運転手は運転を 


キャスターは報道を 


整備士は整備を 


コックは料理を 


先生は授業を 


受験生は受験を 


サラリーマンは事務を 


絵描きは絵を 


宗教家は祈りを 


フリーターはバイトを 


売春婦はセックスを 


泥棒は盗みを 


ニートは何もしないことを 


恋人たちは愛し合うことを 








すべての人に感謝しながら、いつも通り全力でやる。 

明日津波が全部さらってしまっても、後悔しないくらい死ぬ気でやる。 





そこに後ろめたさを感じる必要はないなんて、、、そんなことに立ち止まってるの俺だけか。 

みんなとっくに先走っちまってるよ。 








すべての被災者に日常を 

すべてのプロフェッショナルに祝福を 





2011年3月7日月曜日

物質の証明









「大統領だって?私は目を閉じることさえ出来ればそれだけで幸せだよ。第三次世界大戦なんて想像も出来ないね」 

ま、そういうと思ったがね。小さく息のこもった笑い声が聞こえたかと思うと、少し間が空いて、それからカチャンと音がした。ダヴィド・ベン=グリオンは諦め、静かに受話器を置いたらしかった。 

老人は子供用の、おもちゃのようなチェアに座り、再びチェロの指板に指を添えた。 


この、"なまけものの犬"と呼ばれた老人の病は、要するに脅迫的なまでの妄想癖なのであった。その幼少期にほとんど話さなかったのも、要は外の世界へと引きずり出されなくなかったからだ。それが心配性の父親に強要されて、ある日とうとう引き付けの発作を起こした。以後、このやっかいな持病とは生来の腐れ縁となったのである。もっとも今ではほとんど発作することもなくなったが。 


弾き始めるとすぐに、「バィン」といって、弦が切れた。 


霧雨の降る窓の外を見て、老人は微かに顔をしかめた。外に亡霊がいたからだ。そのとき、ふと「あの日のこと」を思い出したのだった。老人は窓枠をスクリーンにした電影を見ながら、静かに苦笑した。 












水玉の蝶ネクタイに、背の低いグレンチェックのジャケットを着た亡霊は、陽ざしの傾いた黒板の前で、壊れた蓄音機のように繰り返し呟いていた。 


──このとき、我々がやかんを「熱い」というよりもむしろ、「痛い」考えるのは勢いよくこの粒子が指先にぶつかるからであります。つまるところ、熱とは振動のことなのであります。固体は振動せぬために冷たく小さく、気体は大きく振動し、挙句に暴れまわるゆえ、熱くまた大きく体積を持つのであります。粒子が、大きく暴れまわっているのであります。それがぶつかれば、当然痛く感じるのであります 

ここから我々が導き出す結論は、要するにエネルギーとは振動する力なのであります。世界はわずかな震えとその波により成り立っているのであります 

音が空気という物質の振動であるように、光もまた粒子の振動であります。動物にはなぜ目と耳が存在するのか。それは目が粒子を認識する装置であるのに対し、耳が振動を認識する装置だからであります 

かつてこの振動をして、プラトンに「影のような、目に見えない真実の世界のある」と言わしめたのでなかったか。偉大なるピュタゴラス氏が音楽家であったのは、波が作り出す真実の世界の存在に気づいてしまったからでなかったか 

しかし粒子といいましても、我々は結局その正体を存じませぬ。分子、原子、原子核といった具合に、モナドの中にははたまた小さなモナドがあり、そのモナドの中にはさらにまた小さなモナドがありまして、科学がやがて進歩しても、"万物の父にして絶対の最小単位"など、見つけることはできないのであります 






ならば── 













「物の存在なんて証明できない。あるのは震えだけさ」 


モーツァルトのレクイエムが鳴り響くと、老人の背筋に電流が走り、亡霊は悲鳴を上げて立ち去った。「der Depperte.(のろまな奴)」老人はつぶやいた。 


「誰もぼくには付いてこれないんだ。チューリヒ、いや、ミュンヘンのころからさ。それでもぼくはファシストどもを熱狂させた、あの狂人の考えには同意しかねた。ツァラトゥストラほど人に関心のあるわけでもないんでね…私は目を閉じることさえ出来ればそれで十分なのだ…」 


老人は立ち上がると、アメリカ式のうすいコーヒーを手に取り、暖炉の前に腰を下ろした。静かに目を閉じると、すぐ回想が始まった。みるみる内に、まぶたの裏に遥かなる明るい闇が広がっていく。あっという間に加速した。月をすり抜け、土星の輪をくぐりぬける。すぐに寒くなることはわかっていた。フロックコートの襟元に、ぐいとマフラーをしまいこんだ。冥王星の隣をぬけると、やがて本当に、何もなくなった。それでも加速を止める気なんててんでない。 


残念ながら私は科学者だからね。先が長くないことくらい知っているが、神には興味ないんだよ。 

この世界には巨大な白色矮星や、巨大なブラックホールがいくつもあって、その重力にあらがえず、期待した方向に飛べなかったとしても、それがいかほども問題だとは思わないさ。 

私を非科学的な人間とお思いかね。しかしながら残念なことに、自分だけは思い通りに飛べると考えている人間こそ、もっとも非科学的な人間なのだ。 

星と星とが愛の引力で引き合うとき、それを拒絶するのは、ばかみたいなことだ。脊椎は常に開いているべきなのだ。私は星の震えに共鳴するし、あまつさえ落ちていってもかまわない。ブラックホールの先は、必ず別の宇宙につながっているものだ。私はそこでまた、どこまでも飛ぶさ。 











老人は目を瞑ったまま、右手をふらつかせた。一瞬だけバランスをくずしたが、その手はやがて、すぐそばの楽器に触れた。老人は3本しか弦のない、チェロを手に取ると、静かに弓を引いた。波動が空間を充たし、深く、低い倍音が、白い壁で仕切られた、8畳の空間を歪ませた。 


最後の惑星ヘスペリデスを越えると、やがて何も見えなくなり、永遠の暗黒が広がった。すると今度はミュンヘンの空が見えた。映像はひっくりかえって、手袋を編む母親の姿が見えた。それから右へ倣えのあの連中が見えた。視界は暗転し、どこまでも飛んでいった。 


壮大なシンフォニーが老人の身体をかけめぐっていた。細切れの皴を刻んだわき腹に、鳥肌がぷつぷつと粟立っていく。この生理学的運動やがて尾骶骨のあたりまで達し、老人はぶるりと震えた。脊椎は宇宙の信号をキャッチする、神が与えた電波塔に違いないと思った。 





もしも 

もしも世界は、ほんとうは音で出来ているとしたら 


目に映る世界はにせもので 


本当のせかいは音でできているせかいだとしたら 





初めてチェロの音色をきいたあの日、老人の頭にふとそんな予感がよぎった。 







 














それから3年後、老人は宇宙へと飛び立った。今度は妄想ではなく、本当に光になったのだった。 









 


ところで今月はネストで2マンやります。 

1時間近くの悲鳴初のロングセットやります。 

昔の曲もやるから、ぜひ見に来てね。 





■悲鳴×Paradise2マン 

3/21(月・祝) 

渋谷O-nest 

出演:Paradise,悲鳴 

open 18:30 / start 19:00 

adv 2000 / door 2500 (+1drink) 






Paradiseは、ぼくが今一番好きな同世代のバンドです。 

公式HP: http://homepage3.nifty.com/alcoholriver/ 
myspace: http://www.myspace.com/paradaisee 

あまりに好き嫌いがはっきりしてしまう0点か満点しかつけられないようなライブも、すごくわかりやすいキャッチーなメロディにのった、彼らの純粋さも、ぜんぶんぜんぶ含めて大好きなバンドです。ぼくの中では、今2マンをやるなら彼らしかありえませんでした。 


彼らとの決闘は3月21日(月・祝)。渋谷O-nestにて。そして彼らにとっては、この日は、二枚組ニューアルバム、N'importe ou hors du monde発売記念企画でもあるとのこと。 


クウチュウ戦との紅白歌合戦との興奮が冷めやらぬ中ですが、ぜひ。 


今年は次から次へとやりますよ。デアデビルのスエタカさんの占いによると、劇的に前に進める、変わる年らしいですから。 




▼Paradise/海馬~Exultation is the going~ 




▼Paradise / Crazy Train