年が変わるからってそれが何?
と、冷めた目線の人もいるようではありますが
まあまあ、
カレンダーめくるくらいで
気分が変わる(気がする)ならば
もうけものじゃない?
あ、私は都内に近距離帰省はするものの 今ひとつ年末年始感を満喫できそうにもないので
自分内でひそかに
旧正月を採用することにします。
1月末に大そうじするでしょう。
KOZUE
先に考えをめぐらすことで、問題が生じるのを回避することもできる。
先日、私は久しぶりに人をビンタしたのだが。これは怒りに駆られてではなく非常に理性的な判断に基づく行動だった。
私は、相手にこう言ったのだ。
「あなたの失策は、まあだれでもやりかねないことで仕方ないと思っています。だけど私は現在とても忙しく、あなたのせいで余分な時間を無駄にしたことが腹立たしい。しかもこれから帰宅して徹夜で仕事しなければならない。そんな中で《あの野郎…!》とあなたへの怒りを思い出さないために、一発ビンタさせてくれませんか。そのくらいの形式をふんでスッキリさせれば、後でいらいらすることもないと思うので」
この提案は受け入れられ、私はおごそかに一発くれてやり…
そして予想通り、これは精神衛生を保つに、きわめて有効であった。
考えてもどうにもならないことはある。
考えても仕方のないことを
考えない工夫を
考えることは大切です。
KOZUE
掲げた時。
多分それはもう別の何か。
手段でなく、目的としてイズムが存在した時、そこに齟齬が生じる。
そしてそれはあまりに醜い。
自身にもあまりに身近に存在する落とし穴なので、戒めとして。
だからロバートフリップ大先生も、キングクリムゾンのプログレッシブがメンタリティでなく音楽のジャンルの一つとして受け入れられそうになった時、キングクリムゾンはプログレッシブではないと言ったのだと、そう思います。
だって分からない、知り得ない。
強く遠くに焦がれても、分からないもの相手にそれは少し逃避の色が強過ぎる。
価値のあるものは少ないように見えて、それはあなたが価値を見出すものだから、その少ない事はあなたの器に関わる見解。
だけどもつい、月を探すし、星がよく見えないかじっと上を向いて眺める。
それは分からないもの相手の所作でなく、綺麗なものにこころを曝す事。
悲鳴で食べた中華は絶品過ぎた。是非また行くべき。ライブ前日。
ねずみの死因が気になる。
東京外国語大学にて昆虫キッズ、ファーフランスなんかと一緒にやらせて頂きました。カタンさん素晴らしい。
何を聴いてほしいか、何を見て欲しいか、何を思うか、どういう眼で板の上に立つか、少なくとも自分は考えずにいられない。その価値観は強要できないけど。
林
どちらにせよ一度は壊れてしまった、けれど本心から親愛なるあなたとは、経緯や是非はこの際捨て置いても、結果として袂を分かつ事になったけれども、
いくら時間を掛けてでも、いずれ、あなたを壊したそれ以上の負荷に耐えうる人格を獲得するのが、現在の僕の決心です。
全てを飲み下す、とは、
接した全てに対して常に自分が一定の人格を保つ事ではなく、最終的にそれを確認して自らの強さを自覚する事ではなく、それは目的ではなく、
接した全てに出来るだけ誠実に向き合い、自ら善なりと思うところを目指し、結果として自らの礎の一部となるものを増やし、目的として全ての接した対象の苦労をより軽くし、過程のうちで心は常に影響され、揺れ、迷い、それでも目指す、それら一連の事象をさす。つもりでいます。
響き合わない魂などいくらもある。そもそも共感、分かり合うなどという事から、たとえひとりでもそんな相手に巡り会うなり努力して成し遂げるなり、ともかくそれが出来るという感覚がおこがましい。
その上で、分かっていても、せずにはいられない事もある。
だから僕は何を置いてもまず僕のために、壊れる訳にはいかない。諦める訳にはいかない。
投げかける問いも、提示する定理も、その真なるをいくら強く確信していてもなお、必ずいつもきれいに同じだけ自分に還ってくる。
まだまだ小さいものの言葉。
という事を思いました。
高円寺で酔ったじいさまにお説教を垂れてもらうような、苦虫を噛み潰した顔しか出来ないような心象がない。
じいさまとはわかりあえなかった。鮮烈に明確に事実でした。
最後に言ったのは元気で長生きしてねという事、けどもそれさえ、新しいお説教の種でしかなかったろうと思う。
言いたいだけの魂とは交感は有り得ない。こちらが我慢するだけで。そしてそれは往々にして最良の策。
そんな類の話、実社会ならいくらもある。
けれど、物語の中では見かけない。
外の世界は嫌な魂が一杯で、やたらに曝す事のないように、大事に守ってきた僕やあなたの魂は、どこに向かって芽を出し、伸び、開花しようともがくのですか。
孤独のうちに美しい物語を紡ぐのが、最後まで捨てずにいる大切な思いなのですか。
以外と今まできちんと認識してこなかったので、それを僕は自らに問わなくちゃいけない。
言葉は入れ物、中身はこころ、
こころは即ち、あなた自身。
四ツ目、azrq
林
自立した、しっかりした自分の考えを持ってる、カッコいい女なんて、理想過ぎんのかも。でもおれそういう女の子が好きだから、それを拒絶するシステムは攻撃しまくるよ。
経済的にも、性的にも、自立した男女による、アナキズム状態がおれの理想だけど、結局乱交パーティになるとまず例外なく通常以上に男尊女卑の父系社会になんのね。何か裸で男女がもつれてるの見てると猿山みたいで、これが人間のデフォルトなのかと達観してしまったところもあるが、ぼくはやっぱ自分の考え持った女が好きだな。
禁止の ない 世界
(チンザノロッソinウォーターフォードラ2)
社会は女の子に禁止押し付けすぎ!経済活動禁止、セックス禁止、思想活動禁止、そんなんだからイザナミの行き場所は黄泉の世界しかなくなっちゃうんだよ!女と出雲にあの世と無意識全部押し付けやがって!
それで今さらになって、「うわ、イザナミ、ゾンビみてぇ、怖ぇ」なんてちゃんちゃら可笑しい。女に死者の役割押し付けたのはお前だろうがと。死者は語らないよ。死者は自分からはセックスしよなんて言わないもの。死者は鏡になるだけだよ。それが恐ろしい形をしてるというならおまえの心が恐ろしい形してんだよ。な、男!
だからもう女の子が男のワガママ汲んで死者の役割黙って受け入れるって言うならおれはもう黙って弔うよ!天皇陛下だって未だに毎年出雲に弔いに行ってんだからな!だけどおれは政治が嫌いなんだよ…アナキズム以外落ち着かないんだよ。おれ絶対女の子より偉くないし。あらゆる上下関係なんてなくなればいいのに。
階級社会が嫌いだからSMやるんでしょ?政治セックスごっこやって上下関係反転させて「どっちが主人だ」とか「奴隷だ」とか「豚だ」とか「神殺し」だとか「神を殺せない」とかもう全部リセットして、みんなみんな手をつないで大団円の、ハッピーエンドになればいいのにね。あーあ。
そしてぼくは記念撮影のその時になって、誰にも見つからないように、こっそり、ひとりリュックを背負ってこの街を出ていくんだ…。もう帰らない死者たちを弔うために。海に行くために。やーいばーかばーか」
げに酔っぱらいは凄まじき。
by ガンディ
それはどこに返すべきものでもなく、間違いなく自分にのしかかる。いつも。
現象としては本当にぼんやりしたものとしてしか感じられないので、最近そうなったのか昔からだったのか。とにかく最近は、顕著に影響を感じます。
なんだか、呼吸が億劫になるような、おなかに力が入らないような、そんな感じ。
真剣に会話をする事が、嫌なわけでは当然ないので、これは僕にとって自然な事なんじゃなかろうかと思うようになりました。
にしても、面倒な現象には違いない。
自分が真面目な気持ちで思うところを言葉で相手に伝えて、なぜ後になって同じ言葉に僕は苦しまなきゃいかんのだろうか。
不思議な属性。
なんとなく、それは必然だと思うし、それは閉じる理由にはならない。多分機会があれば同じようにまた人と会話をする。
言葉は呪わしい、それでも一番使い勝手のいい道具。
本当に呪わしいのは、言葉じゃないのだろうけど、今しなくちゃいけない事は全体そんな事とはちっとも関係がない。
雑な心象の日が続いている。
重心は常にその位置を変える、日の光に当たるのが必要な時もあれば、日陰にいたほうがいい時もある。
脆い。それならそれで。
azrq、林
王さんとこを見に行くのは、悲鳴のベースこずえさんたっての希望から。
自分も生粋のホークス好きですし、うきうきで行ってきました。
野球人としてだけではなく、人間として尊敬できます。
一流のアスリートは、なんていう感じでよく語られるところですが、別にただの人間なので、そう言われるとあなたは?と思ってしまう。
僕はまだ右の人を見ても左の人を見ても自分を確かに持っている自信を疑うような侏儒ですが、獲得したい人格と向上心は揺らがずに持っていたいと思います。
まだまだよく分からない事が多い、それに、全てを知りたいと思うわけじゃない。
でも少し前みたいに、世界の全てのものを善し悪しと好き嫌いに選別するだけで分かったつもりに、自分の世界を切り取ったつもりになるのは嫌だと思う。
福岡はきれいな町です。特に僕んちの近くは、建物もきれい、道も広い、食べ物もおいしい、きちがいもいない、海も山も近い、人も適当に少ない。
交通マナーはかなり最悪ですが。
隠居するにはもってこいですね。
異様に全てのものが懐かしいけど、参加すべき場は見当たらない。
だから腰を落ち着けるのは随分先の話だと自分で感じました。
こうして日が暮れて、神経はその間に弛む。また張りつめても切れない為に。
四ツ目、林
どこに身をおいていても、あなたという人間からあなたは逃れられない。
あなたが手に入れた居場所も、仲間も、罪も、思いも、孤独も、みんなあなたのものです。
逃げる事も快楽で、苦痛。
闘う事も快楽で、苦痛。
愛とは、人間のいとなみに、誠実に向き合う事。
鯨に烏はなれない。憧れるのをやめない。その先に待つものを、見届ける必要がある。
出来ない事は出来ないと、言い切るのはたやすくて、諦めてしまうのは、どんなに惜しいと自分で考えていたにしても、自らの意志で手放したその瞬間の痛みを越える事は、きっとそうない。
出来ないと言うくせにやめないから苦しいのだし、分からないと言うくせに分かろうとするから苦しい。
分かったと言ってしまえる人間と、分かるつもりのない人間だけは、少なくともその苦しみからは解放されているように、僕には見える。
思い遣りは、独善。僕があなたの全てを分かるなんて有り得ない。同じように、あなたが僕の全てを分かるなんて反吐が出る。
偽善だと、言いたければ仕方ない。言われて気持ちのいいものではないけれど、思ってしまうのを止める事は出来ないし、間違ってるなんて勿論言わない。
顔の見える相手には、出来るだけ誠意ある対応を。そうでない相手には、自分が何なのか出来るだけ伝える努力を。
僕が嘘をつくのと、僕が言う事を胡散臭いと感じるのははっきりと違う。
希望は死に至る病かも知れない。けれど絶望は即ち死を意味すると感じる。
だから少なくとも、懊悩とうまく付き合えるようになりたいと思う。
独善的生しか進むべき道を見いだせない以上、独善的生である事にだれよりも疑問符を突きつけ、謙虚に努力を続けていられるようになりたい。
ravenadoresalazrq.
azrqより四ツ目へ。
林