2010年12月30日木曜日

年の瀬

2010年よさようなら!

年が変わるからってそれが何?
と、冷めた目線の人もいるようではありますが
まあまあ、
カレンダーめくるくらいで
気分が変わる(気がする)ならば
もうけものじゃない?


あ、私は都内に近距離帰省はするものの 今ひとつ年末年始感を満喫できそうにもないので
自分内でひそかに
旧正月を採用することにします。
1月末に大そうじするでしょう。


KOZUE

2010年12月26日日曜日

discipline


10年も刀鍛冶をしていると、大概のことでは動じなくなった。 

目に火の粉が飛び込んだとか、小指の先を切り落としたとか、 
大事はそんなことではない。 

では、名刀をつくるためなら何でもするのかと問われれば、 
おれはそんな問いには答えないだろう。 

きっと、その質問が地上の人間のものなら、おれは2.8次元か、そこら辺にいるからだ。 












おれは鉄を叩いて刀を取り出すが、人は心を叩いて魂を取り出す。 
凸凹を鍛えて、流線型になった魂は、どこへでも飛んでいくだろう。 

答えはいつだって地金の中にある。おれは持っていない。 

だから来る日も来る日も、日長一日、見つめ続けるのだ。 


ずっしりと重い歪んだ鏡面に、福笑いのような自分の顔をじっと眺めていると、 
突然その中へ、ゆるりと没入できることがある。 


この硬い物質の中は呼吸などせずともよく、柔らかいが頭痛もする。 
息苦しいと思えば息苦しいが、忘れてしまえば存外楽だ。だからおれは忘れることとした。 

玉虫色に揺らぐ天井を見つめて、 
刀に力を加える研究ばかりしている変わり者の大学教授の物理実験を思い出した。 
あいつは今も大学だろうか。 

キーンと高い耳鳴りの中を、どこまでも泳げ泳げ 


やがておれは、鼻の奥がジーンとして、頭がかちわれる瞬間に思い至る。 

ふと気づいて、ああ今おれは確かに取り出すべき形に触れていたのだなあと思うのだ。 








長男が生まれたとき、おれは病室で、それこそ今世界が生まれたのではないかというような、 
けたたましい叫び、命のビッグバンの音を聞いていたんだ。 

そう、人は誰だってエネルギー体なのさ。 

赤く熱く、ドロドロしたそいつを、おれは鍛えている 



自分だけの魂の形を知るために、人は心を叩くのさ 





2010年12月25日土曜日

音は人格

エフェクタ欲しい病が再発しそうです。

作ればいいのか。

うーん。

昔作ったあれやこれやを、ちっと引っ張り出してみますか。

同じ機材で同じ時に違う人が弾けば、出てくる音は違う。
個人的には、音は人格に左右される。もっと表層の、気分というようなものにも。

気にしようとしまいと、それはそういうもの、だと理解しています。

だからエフェクタは、使わなくなっても手放さないようにしています。
違う時に使えば違う音になる筈だから。

とはいえ結構長い事、基本は変わらない。ま、ちょっと持って行ってみますか。

2010年12月22日水曜日

ビビビビビン!

たいていのことは考えることで解決したり、進展の手立てを見つけられる。


先に考えをめぐらすことで、問題が生じるのを回避することもできる。


先日、私は久しぶりに人をビンタしたのだが。これは怒りに駆られてではなく非常に理性的な判断に基づく行動だった。


私は、相手にこう言ったのだ。
「あなたの失策は、まあだれでもやりかねないことで仕方ないと思っています。だけど私は現在とても忙しく、あなたのせいで余分な時間を無駄にしたことが腹立たしい。しかもこれから帰宅して徹夜で仕事しなければならない。そんな中で《あの野郎…!》とあなたへの怒りを思い出さないために、一発ビンタさせてくれませんか。そのくらいの形式をふんでスッキリさせれば、後でいらいらすることもないと思うので」

この提案は受け入れられ、私はおごそかに一発くれてやり…
そして予想通り、これは精神衛生を保つに、きわめて有効であった。

考えてもどうにもならないことはある。


考えても仕方のないことを
考えない工夫を
考えることは大切です。

KOZUE

2010年12月19日日曜日

某ハ吾是ダダ也ト云フ

ダダイズムがダダイズムという言葉になった時、
それを(敢えて)標榜した時、意識した時。

掲げた時。

多分それはもう別の何か。

手段でなく、目的としてイズムが存在した時、そこに齟齬が生じる。


そしてそれはあまりに醜い。

自身にもあまりに身近に存在する落とし穴なので、戒めとして。

だからロバートフリップ大先生も、キングクリムゾンのプログレッシブがメンタリティでなく音楽のジャンルの一つとして受け入れられそうになった時、キングクリムゾンはプログレッシブではないと言ったのだと、そう思います。

2010年12月13日月曜日

貼り紙

いろいろ飽和状態
うっかり忘れそう
忘れたら事故になる
事故は事故を呼ぶ

安全確認が必要だ!

注意を喚起するメモ書きが
あちこちに貼られた部屋にいる

エレクターの下あたりにUSBを落とした
あーもう面倒なトコに…
いろんな物をどかさないと
手がつっこめないよ!


とりあえず
「この下あたりにUSBが!」
と書いて、貼る


几帳面なのかずぼらなのか…


KOZUE

2010年12月11日土曜日

いい血が足りない。

今日は新曲作り、励んだ分疲れた。

そうはいってもここ10日ばかり、37℃を下回らないのだからそれなりの負担。

身を切るような不安という。

本当に切れるのか?否。

ならばまだまだであるに違いないのだ。

所詮、不安であろうとなかろうと、せずにおれない事は変化しないし、その切迫のさせ方はある意味で、自己に委ねられている。

だから、やるべき事をやる人間とやらない人間がいるのだ。

耽溺する精神を嫌悪しろ。

azrq

2010年12月10日金曜日

圧倒

オムライスはデニーズのものが基準。以前、品川駅でオムライスを看板メニューに掲げてる店に入って、美味しんぼばりに(見てない) 「なんだこれは。こんなもん看板メニューにしてんのか。デニーズのオムライスの方が数段美味いわ。」とちゃぶ台をひっくり返さず残さず綺麗に食べた。
huto,何にも触れていない感触がして、小学校の頃の朝の会を思い出した。歌をうたう時間(5、6分程度)があって、ドアを開けると、小学生の自分がクラスメイツと一緒にうたっていた。華原朋美のIm proudや玉置浩二の田園、スピッツのチェリーを小学生たちが一心不乱に唄う姿は、かなりシュールだった。想像。
そんなことをしながら、所ジョージのオールナイトニッポンゴールドを聞きつつ家路につく。後頭部や背中から出る、あのコミカルなじんわりしたもの(もしくはそれと正反対のどろどろした憎さか何かの塊)はなんなんだろうと考えつつ、流れてきた河島英五を身体に染み込ませる。
今年ラジオ収録に参加させていただいたエレファントより、2010年を締めくくる為の質問が届いた。
ここに書いてしまおうと考えたが、うまく締めくくれなかった。
寒くなって来たので、皆様体調崩さぬよう気を付けて下さい。悲鳴は揃って体調を崩しています。今週末は、久々に顔が見れるかな。暫くはライヴも無いので、また動画とかのせたいな。

kawase

2010年12月6日月曜日





モー

2010年12月2日木曜日

夜食だより

どんなときでも食欲のある自分には、安心できる。

生まれてこのかた、ショックで食欲が失せるという経験はしたことがない。

内臓が食欲ないよ、と言ってるときでさえ、気持ちは食べたくてギラギラしていることがある。

これは少しアンバランスだな。
人間、少しくらい食べなくたって死にやしないのにね。

喉が腫れてて液体が通るのがやっと、というとき
私はフライを手づかみでむさぼる夢を見ていた。
滑稽な!

一本の腸管であった生物の祖を思いながら夜食を食べます。

豆腐とほうれん草入りスープ
バナナ


控えめです

KOZUE

2010年11月29日月曜日

足りない

昨日のライブは、たくさんの方に見て頂く事が出来ました。

当然僕らを見にわざわざ来てくれた人はその一部で、そうでない人はたまたま見た、という事になろうと思うのですが、

大変有り難いです。

ただ、結論として、あれじゃ届かないよね。と僕は思いました。
脚色なしの三人称視点から見る機会って今まであまりなかった。

色々と足りない。

精進します。

2010年11月26日金曜日

近況

コンタクトが破れたので眼医者に行った。
相撲(テレビ)とマーラー(ラジカセ)がぐちゃぐちゃになってた。なんじゃありゃ。
週末またライヴです。今年最後かもしれません。
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11/28(sun)@新宿URGA [TOKYO SWING vol.9]
w/中学生棺桶//imamon/トリプルファイヤー/CHEWS
open/start:18:00/18:30
adv/door:¥1800 [+1drink.600yen]
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"音楽"は、楽しむもの
という決まりは、恐ろしいです。




右手にはカルーア。

kawase

2010年11月24日水曜日

進化しなきゃ嘘だろ!

すごく寒かった日に。
校庭で小学生が半袖短パンでドッジボールをしているのを見て
自分もああしていたはずなのに、いつからこんなに寒がりになったのかと思う。

中学生になるとジャージが導入される。
この境目にはどういう理由があるのかな。

子どもは体温が高い……というけど、そんなに変わりやしないだろう!

私は子どもは「幼虫」だと思ってるので納得がいかない。
「子どもはみんな天才です」みたいな言い方も気に入らない。

子どものときにできたことができなくなるのはおかしいと
大まじめに思っている。

そんなわけで、ときおり公園で鉄棒を見かけたら
まだ逆上がりができるのに安心するために行うのである。

のぼり棒……のぼれるかなぁ?

のぼれなくなってたとしても、練習すれば
のぼれるようになる、はず!

2010年11月21日日曜日

宇宙

宇宙は果てなく、それは無意味。

だって分からない、知り得ない。

強く遠くに焦がれても、分からないもの相手にそれは少し逃避の色が強過ぎる。

価値のあるものは少ないように見えて、それはあなたが価値を見出すものだから、その少ない事はあなたの器に関わる見解。

だけどもつい、月を探すし、星がよく見えないかじっと上を向いて眺める。

それは分からないもの相手の所作でなく、綺麗なものにこころを曝す事。

悲鳴で食べた中華は絶品過ぎた。是非また行くべき。ライブ前日。
ねずみの死因が気になる。

東京外国語大学にて昆虫キッズ、ファーフランスなんかと一緒にやらせて頂きました。カタンさん素晴らしい。

何を聴いてほしいか、何を見て欲しいか、何を思うか、どういう眼で板の上に立つか、少なくとも自分は考えずにいられない。その価値観は強要できないけど。

2010年11月19日金曜日

試されてる 

週末のライヴ予定。
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11/20 (sat)@東京外国語大学  [映画研究会主催 10$!!] in 外語祭
w/昆虫キッズ/FAR FRANCE/豊田道倫/日比谷カタン
open/start:13:00/13:30
adv/door:¥1500
アクセス!:(1)西武多摩川線多磨駅(中央線武蔵境駅から西武多
                     摩川線で10分)から徒歩5分
                  (2)京王線飛田給駅より京王バスで東京外国語大学前
                     停留所で下車。バス所要時間約10分
詳細: http://www.geocities.jp/eiga_club/10dollar/
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あわわわ




kawase

2010年11月15日月曜日

日光を見ずにけっこうと言うなかれ

スタジオ練習ののち、徹夜仕事を経て、朝帰る。

駅からのゆるい登り坂を歩きながら、見上げると
高台の神社の木々が色づいており
「奥日光!っぽい!」と思ったら
とたんに力がみなぎる。

日光、行きたいなあ。

亡き祖父は神主で、長年、東照宮の二荒山神社に勤めていた。

「おじいちゃんち」は境内にあったのだ。
(簡素というか……わりに質素な住まいでした)

私は「父方の田舎」ととらえていたけど、
そこは単なる勤務地でしかなかったってわけだ!

心の中では田舎なのに、いまやだれも親族のいない
その場所は少し不思議な存在。


そういえば小学生のときに移動教室で日光に行き
当然、見学コースに組み込まれていた東照宮に行ったらば
祖父が出てきてみんなの前でこづかいを5000円くれたので、
みんなに「ずりーーーーーー!」
と言われたっけなあ。

日光、行こうかな。
真冬に行きたいね。

2010年11月13日土曜日

あまりに脆い、それは人間の全てが。

お前が私の死か。

願わくば、少し言葉を交わしたい。
そう思うのは、それがどんなものにせよ、何かを鍵に、自分を納得させる為。


ならばその時ではないのだ。

その時ではなかった筈なのだ。

今を生きるとは、たいへんな覚悟が要る所作です。


自分の精神くらい、打率8割でコントロールするべき。

そうすれば8から6割は、身体がついて来る筈。

azrqは、窮めるもの。


2010年11月12日金曜日

近況

ここ数日で、印象に残った事柄。

・スーパーマリオブラザーズ256面の存在。数に納得。
・素数と原子核について。いや、宇宙の法則について。
 いつかやってたnhkの再放送を見るが同じところで寝る。
・いや、宇宙の法則について。
・ついに、ぎょうざ倶楽部の会員になった。
・忘れた。

僕はそもそも、そんなに音楽を聴かないが、
最近どきどきする曲聴いてないなあ。

週末ライヴです。
11/13 (sat) @吉祥寺MANDA-LA2
Malcomoses Presents  [全ての夜に乾杯 vol.2 ]
w/StarPeople
    Malcomoses
   ひょうたん
open/start:18:30/19:00
adv/door ¥2,000 [+1drink ¥500]




だそうです。


おやすみなさい。
http://www.youtube.com/watch?v=zTx-MRhu0-E
必ずイヤホンで。


kawase

2010年11月9日火曜日

裏返す

最近の小ブームは裏返すことです。

裏から見る
天地を逆にする
凹面を見る

無意識に本やCDを置くと、
たいていは表紙を上にしますが
これを全部裏に返すと風景が変わる。

(人形の類は後ろ向きにするとなんだか悲しいので、やめた)
(さかさまにすると、なんだか苦しげに思えるのでやめた)

本棚の一部、天地さかさまに入れてみると
なかなかおかしげだ。

メアリー・ポピンズか何かに
こういう、「すべてさかさまになってしまう」話があった気がするな。

凹面を見るというのは奥深く、難しい。

本や漫画の、絵も字もない、
純粋に白いところだけを目で追おうとしたら
相当難しかったね!

2010年11月6日土曜日

吐く

その名に( )を持つあなたへ、

どちらにせよ一度は壊れてしまった、けれど本心から親愛なるあなたとは、経緯や是非はこの際捨て置いても、結果として袂を分かつ事になったけれども、

いくら時間を掛けてでも、いずれ、あなたを壊したそれ以上の負荷に耐えうる人格を獲得するのが、現在の僕の決心です。

全てを飲み下す、とは、

接した全てに対して常に自分が一定の人格を保つ事ではなく、最終的にそれを確認して自らの強さを自覚する事ではなく、それは目的ではなく、

接した全てに出来るだけ誠実に向き合い、自ら善なりと思うところを目指し、結果として自らの礎の一部となるものを増やし、目的として全ての接した対象の苦労をより軽くし、過程のうちで心は常に影響され、揺れ、迷い、それでも目指す、それら一連の事象をさす。つもりでいます。

響き合わない魂などいくらもある。そもそも共感、分かり合うなどという事から、たとえひとりでもそんな相手に巡り会うなり努力して成し遂げるなり、ともかくそれが出来るという感覚がおこがましい。

その上で、分かっていても、せずにはいられない事もある。
だから僕は何を置いてもまず僕のために、壊れる訳にはいかない。諦める訳にはいかない。

投げかける問いも、提示する定理も、その真なるをいくら強く確信していてもなお、必ずいつもきれいに同じだけ自分に還ってくる。


まだまだ小さいものの言葉。

2010年11月1日月曜日

いにしえ

あしひきの山のもみぢ葉こよひもか浮び去ぬらむ山川の瀬に

御苑生の竹の林に鶯はしき鳴きにしを雪は降りつつ

山田もる秋のかりいほにおく露はいなほせどりの涙なりけり

秋風の吹きにし日より音羽山みねのこずゑも色づきにけり

2010年10月31日日曜日

組成について

ひとりの人間が紡ぐ物語には、
絶対にわかりあえないという現象がない。
埋められない溝がない。もしくは足りない。

という事を思いました。

高円寺で酔ったじいさまにお説教を垂れてもらうような、苦虫を噛み潰した顔しか出来ないような心象がない。

じいさまとはわかりあえなかった。鮮烈に明確に事実でした。

最後に言ったのは元気で長生きしてねという事、けどもそれさえ、新しいお説教の種でしかなかったろうと思う。

言いたいだけの魂とは交感は有り得ない。こちらが我慢するだけで。そしてそれは往々にして最良の策。

そんな類の話、実社会ならいくらもある。

けれど、物語の中では見かけない。

外の世界は嫌な魂が一杯で、やたらに曝す事のないように、大事に守ってきた僕やあなたの魂は、どこに向かって芽を出し、伸び、開花しようともがくのですか。

孤独のうちに美しい物語を紡ぐのが、最後まで捨てずにいる大切な思いなのですか。

以外と今まできちんと認識してこなかったので、それを僕は自らに問わなくちゃいけない。

言葉は入れ物、中身はこころ、
こころは即ち、あなた自身。


四ツ目、azrq

2010年10月29日金曜日

live

今日は夜、小岩bushbashにてライヴ。
短い時間ですが、お待ちしております。

2010年10月27日水曜日

とあるSM愛好家のある日の戯言

「だいたいSMバーとかって男女の値段が違い過ぎんだよ。別にたかだか1万や2万をケチるわけじゃないが本当にそれでいーの?って思う。だってそれじゃ風俗じゃん。あんたら女、馬鹿にされてんだよ?って思うね。数万払った男は、「タダ」で来てる女の子に対してどこか偉そうで、当たり前のように身体触るし、女の子の方も「え〜」とかいいながら言いなりになってる。そういうの何回も見て、すごく失望した。女の子を男と対等にさせないために、あのおかしな料金体系はあるとしか思えない。

自立した、しっかりした自分の考えを持ってる、カッコいい女なんて、理想過ぎんのかも。でもおれそういう女の子が好きだから、それを拒絶するシステムは攻撃しまくるよ。
経済的にも、性的にも、自立した男女による、アナキズム状態がおれの理想だけど、結局乱交パーティになるとまず例外なく通常以上に男尊女卑の父系社会になんのね。何か裸で男女がもつれてるの見てると猿山みたいで、これが人間のデフォルトなのかと達観してしまったところもあるが、ぼくはやっぱ自分の考え持った女が好きだな。

禁止の ない 世界


(チンザノロッソinウォーターフォードラ2)

社会は女の子に禁止押し付けすぎ!経済活動禁止、セックス禁止、思想活動禁止、そんなんだからイザナミの行き場所は黄泉の世界しかなくなっちゃうんだよ!女と出雲にあの世と無意識全部押し付けやがって!
それで今さらになって、「うわ、イザナミ、ゾンビみてぇ、怖ぇ」なんてちゃんちゃら可笑しい。女に死者の役割押し付けたのはお前だろうがと。死者は語らないよ。死者は自分からはセックスしよなんて言わないもの。死者は鏡になるだけだよ。それが恐ろしい形をしてるというならおまえの心が恐ろしい形してんだよ。な、男!

だからもう女の子が男のワガママ汲んで死者の役割黙って受け入れるって言うならおれはもう黙って弔うよ!天皇陛下だって未だに毎年出雲に弔いに行ってんだからな!だけどおれは政治が嫌いなんだよ…アナキズム以外落ち着かないんだよ。おれ絶対女の子より偉くないし。あらゆる上下関係なんてなくなればいいのに。

階級社会が嫌いだからSMやるんでしょ?政治セックスごっこやって上下関係反転させて「どっちが主人だ」とか「奴隷だ」とか「豚だ」とか「神殺し」だとか「神を殺せない」とかもう全部リセットして、みんなみんな手をつないで大団円の、ハッピーエンドになればいいのにね。あーあ。

そしてぼくは記念撮影のその時になって、誰にも見つからないように、こっそり、ひとりリュックを背負ってこの街を出ていくんだ…。もう帰らない死者たちを弔うために。海に行くために。やーいばーかばーか」


げに酔っぱらいは凄まじき。

by ガンディ

2010年10月26日火曜日

脳をおかされる、感じ

本屋で流れるバッハのピアノ曲に
いたたまれなくなって、そわそわした。

一粒一粒の音がいやに立って、刺さる。
いや、不愉快な演奏という意味じゃなくて。

よすぎて、ひとつひとつをスルーできないのだ。

本を選ぶということに……別のことに頭を使いながら
聴ける音楽じゃなかったということか。

引き裂かれる感じ。

私は音楽を流し聴きするのが苦手であり
頭の中で音を「拾って」しまうのはいつものことなので、
通常このくらいの場面で困ることはないのだが。

自分の調子のせいなのか
演奏者のせいなのかわからないけど
今日はやけに音にぐいぐい入ってこられる感じがして
少し恐ろしくなった。

その興奮が
まだ残っている。

2010年10月23日土曜日

凍結

冬が近い。
10月に入ってから今日ようやく、神経がざわつかなくなってきた感じがする。

血が滞る、神経は静かに深くへ篭る。
こころは燃える、視線は彼方から逸らさずにいる。

まだまだ僕のこころは広がらなくちゃいけません。まだまだ感じ足りない。

あなたの顔を見せて。眼を見せて。声を聴かせて。あなたのうたを聴かせて。音を聴かせて。こころを見せて。

それは手段ではない、目的として。

だからまずはこちらから、投げかける場を大切にしようと思います。

今日は高円寺無力無善寺でライブ。

azrq

2010年10月22日金曜日

どよー

10/23(土)
高円寺 無力無善寺
《まぜるなキカク》
開場/開演:18時
料金:1500円+ドリンク

【出演】
坂上弘
ヤング・フラッテリィズ
アンダースローバレリーナ
かんぴんたん(テルミンダンスのYuppiとAsuka)
TASKE
生死鴉
アウトサイドローム
ルーシー vs 魔ゼルな規犬
悲鳴

司会:でんでん植松/魔ゼルな規犬


新曲ヤリマスヨ!


KOZUE

2010年10月18日月曜日

ショートスリーパー

私はどうもショートスリーパーってものらしい。
その言葉を知る前は、ただの「宵っぱり」だったんだけど。

自分の部屋で一人で寝るようになってから
夜更かし人生はスタートした。
布団の中で本を読みながら眠くなってももうひとがんばり、
寝かかってももうひとがんばり……と続けて
完全に落ちるまで起きていようとする。
このパターンは今もまったく変わらない。

小学校5、6年の頃、12時ごろまでラジオを聞くようになった。
(それから寝床で本を読む)
中学3年のときは3時〜4時にかけてのFM番組を愛聴してた。
(それから寝床で本を読む)
まあその分、授業中によく寝て睡眠を補っていました。

もって生まれた体質もあるかもしれないけれど
起きているのが好きだという必然性があって
平均3〜4時間ですむ
ショートスリーパーに「なった」ような気もします。


私が一年で一番よく寝るのはお正月、実家に帰ったとき。
単純に疲れが出る時期という以外に、
実家の空気が疲れるせいもあるとにらんでいる。

実家は、なんとも時間がゆっくりと流れている。
ふだん私が過ごしているペースと違いすぎ、
うまく動けなくてソワソワする。
「テレビを見ながら家族としゃべってる」とか、
そんな時間の過ごし方忘れてしまって、
落ち着くやり方がわからなくて落ち着かなくて
ついそこに置いてあるダンベル持ち上げながらしゃべったりする(笑)。

実家の人間は3人。
3対1だと、向こうのリズムに負けるみたい。
重いGがかかっているような感じ。

一方、実家住まいの姉が言うには
私が実家にいる間は、ふだんより睡眠時間が少なくてすむそうなのです。
放出するエネルギーを吸いとられているのか?
謎です。

ああ、今日もやりたいこと全部はできなかったけれど。
起きてる限りはがんばった。
明日が来ることを信じて
おやすみなさい。

2010年10月17日日曜日

言葉、属性

親しい方と言葉を交わす事がここ最近多くて、始終真面目に受け答えしていても、冗談を交えながらのものであっても、ちゃんと会話するのであれば、どうやらそこには許容量というものがあるようで。

それはどこに返すべきものでもなく、間違いなく自分にのしかかる。いつも。

現象としては本当にぼんやりしたものとしてしか感じられないので、最近そうなったのか昔からだったのか。とにかく最近は、顕著に影響を感じます。

なんだか、呼吸が億劫になるような、おなかに力が入らないような、そんな感じ。

真剣に会話をする事が、嫌なわけでは当然ないので、これは僕にとって自然な事なんじゃなかろうかと思うようになりました。
にしても、面倒な現象には違いない。

自分が真面目な気持ちで思うところを言葉で相手に伝えて、なぜ後になって同じ言葉に僕は苦しまなきゃいかんのだろうか。

不思議な属性。
なんとなく、それは必然だと思うし、それは閉じる理由にはならない。多分機会があれば同じようにまた人と会話をする。

言葉は呪わしい、それでも一番使い勝手のいい道具。

本当に呪わしいのは、言葉じゃないのだろうけど、今しなくちゃいけない事は全体そんな事とはちっとも関係がない。

雑な心象の日が続いている。

重心は常にその位置を変える、日の光に当たるのが必要な時もあれば、日陰にいたほうがいい時もある。

脆い。それならそれで。


azrq、林

2010年10月15日金曜日

i予感youcan (HのあとにはIがある  、的な感じだ)

伊予柑ようかんとキノコを食って仕事へ。
耐えきれず海へ逃亡(自転車に乗って疾走しているのが僕です)
湘南ビール(雰囲気)を飲んで現実に帰る。
まったく集中できない。とりこぼした。
浅草に行ってカミナリハイボールを飲んで帰るも、
ヴィデオに映った自分に耐えられず散る。
周辺各地の皆さまに、感謝したい。
2010年10月15日。今日も決まった光は開き続ける。
伝え難いことも、その逆も。






2010年10月12日火曜日

Fang Island

感動的過ぎて









涙が出てきた

独立独歩

バンドを始めてからずっと、私のポジションはベースであります。

このポジションに甘んじないように、
ということを定期的に考える。
忘れてないつもりだけど、忘れないために。

フロントマンの後ろでベースを弾くというのは簡単なことだから。

あからさまに目立つ、とかそういうことじゃないけど。
メンバー全員がフロントを担うと同じ意識でやっているバンドは強い。
そう、あるべきだと思う。

実際にひとりで全部を担うことを、体験してみたいと思っている。
これまでやったこともないのですが
「ソロで出演してみませんか?」
という誘いをいただいたことがあり、
声をかけてもらったことに感謝はしつつもお断りすること、数回。

いずれはやらなきゃいけないと思う。

何をやるのかも、まるでイメージ固まらないけれど。
なのに私、自分のソロアルバムのタイトルだけはもう決めてあるんですよ(笑)!

なーんだ。やる気満々じゃない?

2010年10月9日土曜日

王貞治ベースボールミュージアムに行ってきました。
今度の帰省は一週間と長く、毎度の事ながら特に予定も決めずにふらふら過ごすつもりです。

王さんとこを見に行くのは、悲鳴のベースこずえさんたっての希望から。

自分も生粋のホークス好きですし、うきうきで行ってきました。

野球人としてだけではなく、人間として尊敬できます。

一流のアスリートは、なんていう感じでよく語られるところですが、別にただの人間なので、そう言われるとあなたは?と思ってしまう。

僕はまだ右の人を見ても左の人を見ても自分を確かに持っている自信を疑うような侏儒ですが、獲得したい人格と向上心は揺らがずに持っていたいと思います。

まだまだよく分からない事が多い、それに、全てを知りたいと思うわけじゃない。
でも少し前みたいに、世界の全てのものを善し悪しと好き嫌いに選別するだけで分かったつもりに、自分の世界を切り取ったつもりになるのは嫌だと思う。

福岡はきれいな町です。特に僕んちの近くは、建物もきれい、道も広い、食べ物もおいしい、きちがいもいない、海も山も近い、人も適当に少ない。
交通マナーはかなり最悪ですが。
隠居するにはもってこいですね。

異様に全てのものが懐かしいけど、参加すべき場は見当たらない。
だから腰を落ち着けるのは随分先の話だと自分で感じました。

こうして日が暮れて、神経はその間に弛む。また張りつめても切れない為に。


四ツ目、林

2010年10月4日月曜日

流れる音

初めて曲を作ったのは小学校にあがる前、6歳くらいのとき。
歌詞の書きつけは、たぶんどこかに残っている。
メロディーは完全に記憶に書いてあるだけです。
(昔から何度も脳内リピートしているから、上書き更新はされてないはず)

私の通っていた幼稚園はせっせと歌を教えるところで
そのレパートリーからの影響か、
いかにも「音楽の教科書」に載ってるような曲。
AーBーA形式(これ、小学校の高学年くらいで習う知識ですよね)
になってたり…きちんと模倣されてる具合がこれまた恥ずかしい。

歌詞はもっと恥ずかしい!
むじゃきでかわいい童謡路線じゃなくて、
「ちょっといいこと言ってます、暗喩的に!」みたいな。
いや、もちろん幼児の作品なんで文脈の辻褄なんか合ってないんだけど。
(ここまで書いてしまったんで、最後の一節だけ恥を忍んでさらすと…
「大きな星を小さな星と見分ける力がありません」《原文ママ!》だって!)

なんでこんなことを反芻しているかというと
自分が意識的に曲を作り始めたのはいつだろうと思ったからです。
小学校高学年くらいかな。

この最初の曲は鼻歌発祥で、「作ろう」と意識して作った曲ではなかった。
6歳当時(作家気分満々で)「さあ書こう」と振りかぶって
物語めいたものとか、エッセイ気取ったものとか書いていたので、そこの差は明確。

小学生頃になると、学校で習った曲になんとなく続きをつけたり
10番くらいまで続きの歌詞をつけたりしていた。
これも、ただ、もっとその音楽を続けたいという気分で遊んでいたんだなあ。

もちろん、こういうふうに「自然にできたもの」が素晴らしいとか思っているわけじゃないです。
ふり返って考えるのは、無意識のそれは、自分のために必要なものだったと。

人前で音楽をやってるとかやってないとかに関わらず
だれもがおそらく、そういう自分の音楽を持っているんだろう。
とても短いもので、自分でもそれを持っていることを
気づいてないかもしれないけど。
たとえば既製の曲のメロディーや歌詞の一部を
知らず知らずのうちに自分で変えちゃってる、なんてのも含めて。

そういう音楽がある、と思うとなんだかとても楽しい。

2010年10月3日日曜日

月が見ていて、だから笑う

夜が静かになってくる頃です。

どこに身をおいていても、あなたという人間からあなたは逃れられない。

あなたが手に入れた居場所も、仲間も、罪も、思いも、孤独も、みんなあなたのものです。

逃げる事も快楽で、苦痛。

闘う事も快楽で、苦痛。


愛とは、人間のいとなみに、誠実に向き合う事。

鯨に烏はなれない。憧れるのをやめない。その先に待つものを、見届ける必要がある。

2010年10月1日金曜日

1010010111

 













すっかり涼しくなりました。    
決まった光はそれでも開き続ける。
伝え難い思いはそのままに。
今日は何年何月何日。平日休日。
今日という日は。

hemay kawase

2010年9月27日月曜日

あしたとあさって!

ふってわいたようなホークス優勝をひとりで祝いながら
明日・明後日のライブ告知です!
(当然ホークスのユニフォーム着用で)

9.28(火)@下北沢THREE
OPEN/START 18:30/19:00
1500/2000(+1D)
【出演】
the Knowlus
タリバナサンバ
股下89
HOMM∃
悲鳴

☆悲鳴の出演は21:40〜の予定です。


9/29(水)@新宿Motion
OPEN/START 18:00/18:30 
2000/2000(+1D)
【出演】
サーティーン
imamon
うるせぇよ。
クウチュウ戦
オカープー
悲鳴

☆悲鳴の出演は20:50〜の予定です


2010年9月25日土曜日

病原菌

間違いを起こした事のないヒトなんていない。

こうなりたい、何が欲しい、希望を抱いたり願いを叶えたりする自由は、誰にでも与えられているもの。

だからなるべく、たくさんのものを見てたくさんの事を感じてそれを自分の一部にしていけたらと思う。

過去から学んだつもりのあなたの姿はあまりに痛々しかったから、知らなければ済んだのだけど少し首を突っ込む事にした。

という話。

星はまた少し僕を照らす。いつまでだかはよく分からない。

四ツ目。

2010年9月23日木曜日

太郎の話






「世の中に恋愛ほど暴力的なものはない」太郎は思った。 






太郎は今まで、自分に関わる全てのことを、自分の意志で決めてきた。 

ところが美は、こちらの意志などおかまいなしに、太郎の中に流れこんでくる。人間は恋愛すると、思考が停止するようにできているのだ。太郎はそれが嫌だった。 


そんなわけで、無意識の存在を認めない太郎の恋愛は畢竟マゾヒズムへ落ち込むこととなった。太郎にとっては、恋愛すること自体が敗北なのである。 


強く生きることを望んだ太郎は、一生一人のままであることを願った。 








「人は、人間死ぬときは一人だなどと世を儚むが、だとしたらおれはその瞬間のため、生きていけるに違いない」究極の孤独である死は、太郎にとって永遠の勝利であり、全能への導線なのである。 

だから太郎は童貞である。どれだけ女とやってもオナニーである太郎は、童貞である。 

ところが太郎は、恋をしてしまったのだ。太郎は思った。「人を受け入れるということは、ボロ雑巾のようになるということだ。破瓜の痛みとはこのようなものだろうか」 


太郎は美に自分が汚されるのを感じた。そうしてこのことは、自分が捧げる神に申し訳がないことだと思われた。 









14のころ、父親に反抗して伸ばし始めた太郎の前髪は、今では病的な白い頬に触れるほどになっていた。太郎は髪が作る柔らかいまばらな膜が、自分を危険な外界から守ってくれていることを感じていた。 

太郎にとって髪こそは、本当の顔であった。黒い絹糸の下に隠された病的な肉は、決して醜いわけではない。ただ、能面のようなのだ。肉より遥かに多くの表情を持つ髪は、太郎にとり、無口な能面の代弁者であった。 


太郎は白い茶碗に、ただあほらしく穴が五つばかり開いただけの埴輪のような顔を、それと気づかず愛していた。愛するがゆえ人に見せたくはないのである。 

さて太郎が膜の下で何をしたかと言えば、巨大な機械を作ることであった。 


それは各部が精密時計のように緻密な構造をしており、存在すること自体が危ういほど、脆い硝子のようであった。 


膜がなければ砂の城のようにたちまち崩れるこのジェンガの塔こそが、太郎の宝物であり、太郎を証明するものなのである。 

しかし美は突然やってくる。そして太郎の宝物を破壊していく。「女は鬼で、ここは賽の河原だ」太郎は美を憎んだ。 


太郎の、ただの内省的な思春期の少年と異なっていたところは、この途方もない機械が、いずれ現実になるに違いないことを、驚くほどの純粋さで信じ込んでいたことにある。 

それが実現しないのは、自分に力が足りないからに違いなかった。太郎は思った。「全て美は破壊されなければならぬ」 

だが同時にこうも思ったのである。「おれはいずれ美にめたくたに破壊されるだろう」 


それは太郎にとって、同じことなのである。美に刺し違えたい、その衝動だけが太郎を生へ突き動かしていた。二つはやがて止揚し、生は一つになるのだ。なぜって「死ぬときはひとり」なのだから。 

そんなわけで、太郎は今日も女の足を舐め、かと思えばなぶって喜んでいるのである。 


太郎にもささやかな夢はある。太郎はしばしば最も美しいものの前で自らのの悪を洗い浚い告白することを夢想した。赦されたいとか蔑まれたいとかではない。それは太郎にとり機械を補完するためのオートマチックな作業である。 


それを思うだけで、太郎のメカニックな悪意は起立し、血潮は波打った。きっと、膜は嵐の帆船のように張るだろう。そのとき太郎の機械は遥か緻密になるに違いないのである。 











しかし他人は受け入れるだろうか? 












包丁鍛冶であった父が、かつてこう言ったのを太郎はよく覚えている。「おまえがおまえになりたいなら、おまえになることを選ぶべきだ。おまえがおまえでないと思うのは、おまえであることを選ばなかったからだ」 


しかし母はそっとこう付け加えた。「父は自分を捏造するものよ」「そして女は自分を改竄するの」 


太郎の長い前髪がその小さなだんご鼻をくすぐるくらいになったころ、また父がこんなことを言った。「真の敬意は跪くことによって示されるべきでなく、打ち倒すことによってそうされるだろう」 

しかし母はこう言った。「敬意を力でしか示さない者は自分しか愛さないのだ」 



太郎は人の気持ちというよりは、自分の気持ちに鈍感なのだった。そしてそれを戻すには、人の気持ちに敏感になる以外方法はないのである。 



あるとき父は「誰にも理解できないことを為せ」と言った。 


しかし母は「人の役に立たないものなど意味がない」と言った。 


こうして太郎は、意味のわからないことをしては、いちいちそれを言い訳するのに余念がない、困った運動体となった。 





2010年9月20日月曜日

なんとなく

ドラムの練習をしてみた。

夜、ふらりと夜にスタジオに寄りセット450円のスティックを買って。
1時間でマメ2つ。暴れただけ。

次の日、前に古本屋で100円で買ったドラムの教本を電車の中で読む。
キックペダルの踏み方がどうもよくわからない。
やけにたくさん並ぶ連続写真、わかりにくいけど編集者の苦労が忍ばれる。
そういえば私もダブルダッチ(なわとびの競技)の本を作ったことがあるけど
あれは大変だったっけな…
(DVDつける予算がなかったんですよ)

足の写真を凝視するうちに
ドラマーの靴がカッコ悪すぎるのが気になって困る。
(ビジネスシューズと運動靴の間みたいなやつ。絶対に合皮)


練習2回目は疲れなかった。
1時間があっという間。
教本に載ってるパターン練習もしたしね。
私は器用でもないのに自己流に走りやすいから、
最初くらいは基本に忠実にやりたい。
センスもないのに雰囲気に酔ってるのは嫌い。



ある名門野球部では、レギュラー全員に全ポジションを体験する練習をさせるという。
立つところが違うと、ゲームの見え方が変わる。役割が変わる。
何より、自分以外のポジションの人の気持ちがわかるってのが
それをやらせる大きな理由だ。

なーんて、私はそんな意義を考えてなかったけど。

次の日ライブに行った私はライブ中ずーっと、ドラマーのキックに合わせて右足を踏んでいた。
これは疲れた!

2010年9月18日土曜日

独善的生

人は分かり合えない代わりに、分かり合えない事に基づいた行動をとる事ができる。

出来ない事は出来ないと、言い切るのはたやすくて、諦めてしまうのは、どんなに惜しいと自分で考えていたにしても、自らの意志で手放したその瞬間の痛みを越える事は、きっとそうない。

出来ないと言うくせにやめないから苦しいのだし、分からないと言うくせに分かろうとするから苦しい。

分かったと言ってしまえる人間と、分かるつもりのない人間だけは、少なくともその苦しみからは解放されているように、僕には見える。

思い遣りは、独善。僕があなたの全てを分かるなんて有り得ない。同じように、あなたが僕の全てを分かるなんて反吐が出る。

偽善だと、言いたければ仕方ない。言われて気持ちのいいものではないけれど、思ってしまうのを止める事は出来ないし、間違ってるなんて勿論言わない。

顔の見える相手には、出来るだけ誠意ある対応を。そうでない相手には、自分が何なのか出来るだけ伝える努力を。

僕が嘘をつくのと、僕が言う事を胡散臭いと感じるのははっきりと違う。


希望は死に至る病かも知れない。けれど絶望は即ち死を意味すると感じる。

だから少なくとも、懊悩とうまく付き合えるようになりたいと思う。

独善的生しか進むべき道を見いだせない以上、独善的生である事にだれよりも疑問符を突きつけ、謙虚に努力を続けていられるようになりたい。

ravenadoresalazrq.

azrqより四ツ目へ。

2010年9月16日木曜日

トラウマトライアスロン

言ったことが思ったことと同じように伝わらなかったことはよくある。
僕から出た線とあなたから出た線が一本に繋がることは無いから、せめて僕とあなたの4人の中で、伝え合うことを諦めず続けよう。執念が無ければアウト~だし、まずそれを持てば、なんとか出来ると信じたい。
ここまで話すと大抵面倒臭がられてしまう。

これに匹敵するパワーで向き合ってくる神々しい人とのやりとりは、凄く刺激的だ。もしかしたら、線が一本に繋がるんじゃないか、と期待したくなるほどに。投げ合いでなくその喜びのことを、コミュニケーションと呼ぶのかもしれない。

日付変わって2010年9月16日。
決まった光は刻刻と開く。
                                    hemay kawase

2010年9月15日水曜日

円環













衝突、乱調、回転、融合、








動脈と、静脈を、ぐるぐる。回ると身体が動く。全ての始まり。




お金も、ぐるぐる。セックスもぐるぐる。武術は、2つの領域がぐるぐるして奏でる音楽。




知識は、言葉をぐるぐるさせて生まれた生命(本より人、人より自然の方がいい気がする)


ぐるぐるしなくなったら、みんな死んでいる。だから、身体中を血がかけめぐるように、外の世界と自分が、区別なくぐるぐるしだしたら、どこにも重心が無くなって、何でもできる。 


自然との私の間に、100も1000も円環ができて、その全てがぐるぐるしてぼくの重心を動かしたら、だれもぼくの動きを読めないし、しかも一番自然な動きかもしれない、




バンドの中を音がぐるぐる、客とステージを、熱がぐるぐる、ぼくの中を、血がぐるぐる これね。この3つの回転エネルギーで、痙攣、くる。 




食欲は、私と自然の循環、性欲は、私とあなたの循環、睡眠は、私と無意識の循環。貨幣は、人間が自然を模造した循環システム。




循環を引き起こすものはなんだろう。貨幣の根源的な意味に気づいた野性の思想家も、それには応えなかった。ただ誰かが、そこに贈り物を置いたのだと言うだけ。
















目の前の食にだけ、集中して、食べるという経験を、ここのところずっと続けている。


同僚に困った顔をされながらも、2人で来た定食屋で、ただ黙々黙々と、箸を口に運び続ける。


毎日わずかながら舌が研ぎ澄まされていくのを感じている。


それがそこにあると感じるだけで、唾液が溢れ、口が熱くなり、全神経が興奮して、欲望し始める。


アナーキー吉田は、昔日記で、食べることを指し「あれほどまでに熱烈に他者を欲することなんてあるだろうか」と呟いていた。全く同感だ。




26年間生きていて、今頃ようやく米がどんな味だったのかを知る。恥ずかしい。




人はよく、神が与えられた食べ物へ、感謝するということを言うが、ぼくのはそれとは少し違う。もちろん美食の類とは180度違う。




ぼくにとって食事は、宗教というより、むしろきわめてエロティックな経験だ。




ただし相手(食べられるもの)に敬意を示すという面においては似ている。




飽食が我々からこの鋭利な味覚を奪ったのだとしたら、人間は本当に大事なものを失ったのだという気がする。


きっと、集中して食べることができない人は、愛撫するのも下手な気がする。口だけで食べる人は、ペニスだけでセックスする気がする。そうじゃないだろうということを、言いたい。




米は甘い。いや、全ての食べ物は、実は甘い。




嘘だと思ったら、試したらいい。すると、すぐに味付けが強烈過ぎることに気づくだろう。量も多すぎて、わけがわからなくなることも思いはじめるに違いない。






茶碗八分目の飯に、同じくらいの味噌汁、ししゃも2匹、前菜あれば、実は十分なのだ。(というより、少なくともぼくには、修行が足りないらしく、それ以上はわけがわからない)




全神経を集中すれば、その全てを身体が生かしきるから、それで十分。




食べられるものが、心から欲されたとき、口から脊椎を通って臍の少し下を抜けるように、エネルギーが美しい円弧を描いていく。




その円弧はどこへ向かうのか。海をめぐって、風を舞い、やがてまた口に戻るに違いない。円環になっている。




全てはどれだけ美しい円環を描けるかにかかっている。




エネルギーの行き先が、身体を通り、地球をめぐって、再びどうやって口に入ってくるのかさえはっきりしていれば、環境問題なんか全て解決するんじゃないのか。
















呼吸も同じくらい大事だ。空気もまた、甘い。


嘘だと思うなら、試しているがいい。


ただ、吸って吐くことだけに30分程度集中したら、すぐにわかる。


鼻と肺と地球の循環を、試してみるがいい。










円の道筋が決まっていても、美しく回転しなければだめだ。ガタガタした円じゃ、早く回らない。


毎日同じ時間に起き、食べ、練り、寝ることを繰り返すと、あるときターボがかかる。スムーズで美しい円が描けたのだ。ライブで神懸かるには、これ以外方法は、ない。(これは経験論)




そもそもの音楽が円環だ。楽譜は数直線だから、迷うが、ぼくには円環に見える。ぐるぐる回って、少しずつ変化してゆく。回転はやがて激流となり、遠心力が引力すれすれで暴走する。モグワイみたいだ。




バランスが崩れてて、引力が負けたら、どこか果てまで飛んでいってしまう。そんなとき、ロックミュージシャンは死んじゃうのかな。










電子が陽子をぐるぐる。


地球が太陽をぐるぐる。


































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